you are my …



『今日は何日かしら…』

マリコはぼんやり壁時計を見つめる。カーテンから射し込む光で、今が日中だということはわかる。ベッドに潜り込んだまま、マリコは再び目を閉じる。今はもう空腹も感じない。扉の外で誰かの声がするけれど、ただマリコの耳をすり抜けるだけだ。
今、マリコが聞きたい声は、会いたい人は一人だけ。けれど、その人は別の人のものになってしまった。

「消えてしまいたい…」

マリコは掠れた声で呟く。

あの人の側で声を聞き、その腕のぬくもりを感じられないなら、自分には生きている意味がない。

「それなのに、どうして私はまだ息をしているの?」

マリコは両手で顔を覆う。
もう涙さえ浮かんではこない。
マリコは、空っぽになってしまった。






――――― ドン!ドン!ドン!

突然荒々しく響く音にマリコは顔を上げる。だがそれも一瞬のことで、またマリコは自分の殻へ戻っていく。

「マリコさん、ここを開けてください!」

―――――空耳?

まさか…とマリコは目を閉じる。
けれど次ははっきりと声が耳に届いた。

「マリコさん!あなたに会いたい。声が聞きたい。ここを開けてくださいっ!」

「…少尉?」

小さな声でも、土門少尉は聞き逃さなかった。

「そうです。あなたに会いに来ました。ここを開けてください」

「嘘です。だって、あなたは並川さんの…」

「それは誤解なんです。どうか、どうか、自分の話を聞いてくれ!」

「………」

「マリコさん!」

「………」

「マリコさん。あなたに拒否されたら…自分はもう生きていられない」

疲れたような声だった。そしてその悲痛な気持ちはマリコも同じ。マリコはふらつく足取りで扉に向かうと、ゆっくりと鍵を開けた。


「マリコさん!!!!」

扉が開いた瞬間、マリコの体は嵐にさらわれた。息ができないほどに、強く、強く掻き抱かれる。

よく知る腕の逞しさ。
馴染んだ香り。
心安らぐ胸の温かさ。

マリコの頬を涙が伝った。

「…少尉!」

「マリコさん、ありがとう」

安堵と申し訳無さと、ないまぜになった万感の思い。
少尉の目尻にも光るものが見えた。



それから二人は無言で長い時間抱き合ったまま、餓え乾いた心の泉を満たしていった。土門少尉は何一つ包み隠さず、これまでの経緯をマリコに話した。それには長い時間を要したけれど、すべてを伝えることが土門少尉のマリコに対する誠意のあらわれだった。
そしてそれはマリコにもよくわかった。だからマリコは言葉を挟むことなく、少尉の声に耳を傾け続けた。

「マリコさんなら分かってくれる…そんな自分の勝手な甘えがすべての元凶です。マリコさんをこんなに泣かせて、不安にさせて、後悔してもしきれない。謝って許されることではないとわかっているが、どうか。どうか、もう一度自分を受け入れてはもらえないだろうか」

いつもは凛として立派に努めを果たしている土門少尉が、今はまるで迷子のようだった。きっと少尉のそんな姿を知っているのは自分だけだろう。
マリコの胸に愛おしさが湧き上がった。

「もう二度とこんな想いはしたくありません」

「もちろん。させない」

「約束、してくれますか?」

「この命を賭けて」

マリコは微笑んだ。

「マリコさん」

土門少尉は両手で少しやつれたマリコの頬を包んだ。

「土門…少尉?」

「You are my everything」

「……え?」

マリコは科学者の父を持った影響で英語や独語が堪能だ。

「英国の軍人に教えてもらいました」

少尉は照れて視線をそらす。

「ああ…」

マリコは我慢できず土門少尉に飛びついた。

「私も。私もです。少尉、私はあなたを…」

少尉はふいにマリコの口を手で塞いだ。

「その先は自分に言わせてください。あなたを愛している。あなただけを。あなたさえ居てくれるなら他には何もいらない。この命さえ。ただ自分はあなたが欲しい…マリコ」

静かに重なった唇は温かく、少しだけ涙の味がした。




それからしばらくして、並川雪絵は自宅を売却し、遠縁の親戚を頼って地方へ越していったと土門少尉は風の噂に聞いた。少尉は迷ったものの、マリコにもそれを伝えた。

「そうですか」

マリコはそれだけ答えると、土門少尉の胸に顔をうずめた。



さらに数カ月後、二人の記憶から雪絵の影が消えかけた頃、マリコのもとに彼女から小包が届いた。
開いてみると、中身はかつて少尉がマリコへ宛てた手紙だった。マリコはその手紙の存在を少尉から聞いて知っていたが、現物を見たことはなかった。マリコは一人部屋へこもると、手紙を読みふけった。

そこには主に日常のささいな発見や、次に会ったときに二人で行きたい場所、見たい映画、食べたいものなど明るくて楽しい話題に溢れていた。
そして、いつも最後には。

「You are my everything」

その一文が添えられていた。

マリコは手紙の束を、鍵のかかる引き出しへしまった。

マリコはもう迷わない。
運命だとか、宿命だとか、そんなことも関係ない。
ただ、マリコは土門少尉と一緒にいたい。
自らの命の灯火が消えゆくその日まで。

なぜなら。

you are my everything
you are my life
you are my ………

止めどなく溢れる想いをあなたに。



fin.


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