you are my …



マリコは電話機を手に立ち尽くしていた。

「今日もお留守だわ」

ここ暫く土門少尉とすれ違いが続いていた。マリコが何度電話をかけても、少尉には繋がらない。
少尉から、別の駐屯地へ出向くような話は聞いていない。
だとしたら…。

「まさか、少尉の身に何か!?」

嫌な予感に支配されたマリコは、上着を手に取るとその足で少尉の家に向かった。



呼び鈴を鳴らしても、ガラス戸を叩いて声をかけても応答はない。

「出かけているのかしら?」

マリコが途方に暮れていると、ちょうど隣の家から顔なじみの年配女性が現れた。買い物に行くのだろうか、籠を手にしている。

「こんにちは」

マリコが声をかけると、女性は笑顔を見せた。

「あら、こんにちは!」

「あの、土門少尉はお出かけでしょうか?」

「薫ちゃんなら並川さんのお嬢さんのところですよ。あなた、聞いていないの?」

幼い頃から土門少尉を知る彼女は、少尉のことを『薫ちゃん』と親しみを込めて呼んでいる。土門少尉も彼女には頭が上がらないらしく、苦笑いしつつもその呼び名を受け入れていた。

「いえ…」

「おかしいわね。何日前だったか…薫ちゃんに留守を頼まれたんですよ。何でも並川さんのお嬢さんが事故に遭ったとかで、『看病に数日家を空けるからお願いします』ってね」

“並川さんのお嬢さん”というのは、先日土門少尉が話していた結婚を薦められた女性のことだろう。

その女性の家に土門少尉が…?

マリコの心はざわめいた。

土門少尉のことだ。
事故に遭った彼女を心配し、父親を失って一人暮らしなのを手伝うためだろう。
それは、頭ではわかる。
けれど感情は別物だ。
自分には何の相談も連絡もなく、他の女性の家に身を寄せる土門少尉のことを想像すると、マリコは体中の力が抜けていきそうだった。

「あなた、大丈夫?」

「は、はい。あの、並川さんのお宅をご存知ですか?」

「わかりますよ」

女性は並川邸の住所と、簡単な地図を書いたメモをマリコに渡してくれた。

「ありがとうございます」

そのまま並川邸に向かおうとしたマリコは、「ちょっと」と呼び止められた。

「はい?」

振り返ったマリコに女性は言った。

「薫ちゃんのこと、信じてあげてね」

「え?」

「会うたびにあなたの話を聞かされるのよ」

女性は目尻にシワを寄せて、マリコを見つめる。

「よっぽどあなたの事が好きなのねぇ」

「いえ、あの…」

「薫ちゃんは大切な人を裏切るような子じゃないわ。言わなくても、きっとあなたが一番よくわかっているわね。あの子を…信じてあげてくれる?」

「はい!」

マリコは潤んだ目をこすると、彼女に笑顔を見せた。



マリコが教えられた住所に着くと、並川邸は生け垣の立派な建物だった。門扉をくぐると、窓が開いているのか、奥から楽しそうな会話が聞こえてきた。


『美味しいです!少尉は料理がお上手なんですね』

『人並みですよ』

『私が作るより美味しいです!』

『雪絵さんは、褒め過ぎだ』

ははは、と笑う土門少尉の声。

『そんなことはありません。本当に美味しいです!』

『そう、かな…?ありがとう』


もう聞いていられない…マリコが後ずさると、ジャリっと足元が音を立てた。それに反応して、寝ていた飼い犬が目を覚まして吠え始める。
早くここを立ち去らなくては、と気持ちは急くのに、マリコの足は固まったまま動かない。



「ん?来客か?」

「私が見てきます」

「いや、しかし…」

立ち上がった雪絵を、土門少尉は気にかける。

「大丈夫です。それに、多分私に用事の方だと思いますから」

確かに、ここは雪絵の家なのだ。客が訪ねるのは雪絵だろう。

「何かあれば呼んでください」

「はい」

雪絵は玄関へ向かった。



「どちらさま?」

雪絵が引き戸を開くと、そこには見知らぬ女性が立っていた。雪絵よりは年上だが、どことなく気品を感じる美しい女性だ。

女の勘、というものか。
雪絵には、マリコが誰で、なぜここに来たのかすぐにピンと来た。

「あ、あの。こちらに土門少尉がいらっしゃると聞いて…」

マリコは心の準備も出来ぬまま、上手く言葉が続かない。

「どちらさまですか?突然訪ねて来られては、迷惑ですわ」

「あ…。すみません」

「土門少尉にどのようなご用件でしょう?私が承ってお伝えします」

「いえ。あの、ご本人に直接お会いしたいのです」

「土門少尉は今お忙しいと思います」

「でも…」

「私がこんな状態なので、彼が何かと手伝ってくださるの。とても助かっています」

雪絵は包帯で固定された腕をマリコに見せつける。

「それは…大変ですね。お怪我は酷いのですか?」

「ええ。お医者様の話で、。包帯が取れるまでまだ暫くかかるそうです」

「そう………ですか」

雪絵はマリコをじっと見た。

美しい女性だけれど、自分が敵わない相手ではなさそうだ。
暫く会わずにいれば、少尉も彼女のことを忘れて、自分を選んでくれるに違いない。

雪絵はそんな妄想を描いた。

雪絵は決して「悪い人間」というわけではない。きちんと教育を受け、分別もある。ただ、そんな彼女が道を逸れてしまうとすれば、理由は2つ考えられる。
1つは、血だ。
彼女の母は並川氏と内縁関係にあったのだが、それは並川夫人が生前の頃からすでに続いていた。彼女の母は妻ある男性を寝とり、ズルズルとその関係を続けていたのだ。

そしてもう1つは、土門少尉に対する強い執着だろう。
幼い頃から父親に刷り込みのように土門少尉の話を聞かされ、いつしか雪絵の心の中には会ったことのない少尉への憧れが芽生えていた。その気持ちが、実際に本人を目にしたことで一気に膨れ上がっていったのだろう。

誰にも渡したくない。
土門少尉を独占したい。

その気持ちが刃となって、少尉の想い人であるマリコに向かってしまった。


「急用でないなら、今日のところはお帰りください。あなたがお見えになったことは、土門少尉に伝えておきますわ」

そういうと、雪絵はマリコの返事も聞かずに引き戸をピシャリと閉めた。

「あっ………」

マリコはしばらくその場に留まっていたが、やがて諦めたように、もと来た道を帰って行った。



「お知り合いの方でしたか?」

廊下に顔を見せた土門少尉へ、雪絵は首を振った。

「いいえ。押し売りでしたから、帰っていただきましたわ」

結局、雪絵はマリコのことを少尉には伝えなかった。


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