you are my …



マリコへの気持ちが揺らぐことはないものの、このままにしておく事もできない。土門少尉は縁談の返事をする前に、先方のことを調べてみることにした。
もしかしたら相手の女性もこの縁談は寝耳に水かもしれない。自分と同様、別に想い人がいる可能性もある。もしそうなら、早々にこの話はなかったことにしてもらえばよいのだ。
そんな淡い期待も持ちつつ、土門少尉は久しぶりに並川邸へ足を運んだ。


生け垣の壁伝いに歩いていると、人の声が漏れ聞こえてきた。少尉は足を止め、葉と葉の僅かな隙間から中を覗いてみた。

そこにいたのは、二十歳前後の若い女性。肩にかかる長さのゆるくウェーブした髪にカチューシャをはめていた。背格好はマリコと同じくらいだろうか。

彼女は誰かと会話をしているようだ。

「もうすぐお見合いするのよ。でも全然不安じゃないの。どうしてだかわかる?」

相手の声は聞こえてこない。

「亡くなったお父様から土門少尉のお話はよく聞いていたの。お国の為に尽くす軍人で、とても立派な方だと言っていたわ」

どうやらこの女性が見合いの相手らしい。
土門少尉は盗み聞きをすることに、居心地の悪さを感じた。

「どんなお顔なのかしら。背は高いのかしら。お会いするのが楽しみだわ。年上の方だから失礼のないようにしなくちゃ…何を着ていったらいいと思う?洋装?それともお着物の方がいいかしら」

そこで初めて彼女の話し相手が返事をしたのだ。
『ワン』と。


「犬?」

「誰!」

思わず発した声に、相手が気づいて振り返る。

「の、覗き?泥棒?け、警察に…」

「ま、待ってください!」

土門少尉は慌てて生け垣沿いに走り、門扉に姿を見せた。

「覗き見するなど大変に失礼しました。しかし自分は怪しいものではありません。陸軍所属土門薫少尉であります」

「土門…薫……少尉?………ま、まさか!あなたが、その…………」

「はい。あなたの見合い相手です」

「あなたが土門少尉………」

女性はまじまじと少尉の上から下まで眺めると、急に顔を赤らめた。

「あ、あの、初めまして。わ、私は、並川…ゆ、雪絵ゆきえです」

尻窄みな声で何とか名乗ると、雪絵は俯いてしまった。

「不躾に訪ねてしまったこと、お許し願いたい」

「あ、いいえ。…そうだわ、よかったら上がってください。散らかっていますけど」

「しかし…」

「父に会ってやってください。父は最後まで土門少尉のことを口にしていました」

「…わかりました。それではご焼香させてもらいます」

雪絵の案内で仏間に通されると、少尉は並川氏の位牌に向かって長いこと手を合わせた。
小さい頃はよく遊んでもらったし、大人になってからも兄のように相談に乗ってもらった。少尉にとっては恩人だった。

「ありがとうございます」

雪絵は少尉へお茶を差し出した。

「お構いなく。雪絵さん、どうして自分がここへ来たのか、聞かないのですか」

「偵察、ではないですか?」

「その言い方はちょっと…」

眉をひそめる少尉に、雪絵は菓子鉢を進めた。

「でも、私だって本当は気になっていました。土門少尉は背が高いのか低いのか、太っているのか痩せているのか、ずっとお父様の話を聞いて、思い描くだけでしたから」

「で、実際に会ってがっかりしましたか?」

土門少尉は冗談半分で聞いてみた。

「がっかりだなんて…。思っていたよりずっと…その……ス、ス、ス」

「す?」

「ステキな方だなって思いました」

「あ、ありがとう」

照れる雪絵につられて、少尉も口ごもる。
しばらくお互いに無言でいたが、土門少尉が口火を切った。

「私がここへ来たのはあなたの考えを聞くためです」

「私の考え…ですか?」

「この縁談話、あなたにとっても突然のことだったのではないですか?並川氏が亡くなり、身寄りを失ったあなたを心配した周囲が決めたことでしょう」

「はい。その通りです」

「やはり…。それならば歳の離れた自分のような者より、若いあなたに似合う男が世には大勢いるはずだ。周囲の人の声に従う必要はありませんよ。あなたの人生なのだから。何なら自分から破談を…」

「いいえ。私は!」

雪絵は強い語調で少尉の言葉を遮った。

「雪絵さん?」

「私は、自分の意志でこの縁談を受けることにしたんです」

「しかし…」

「幼い頃から、父はあなたのことをまるで本当の息子のように自慢していました。将来はあなたのような立派な殿方のもとに輿入れし、夫を支えられるような妻になりなさい、ずっとそう言い聞かされてきました。そんな父の言葉もあり、いつしか私はあなたに憧れを抱いていました。本当にあなたの妻になれたら…と。そんな時にこの縁談の話が持ち上がり、私は迷うことなくお受けしたんです」

雪絵は興奮した様子で一気に喋り続けた。

「不束者ですが、どうかあなたのお側に置いてください…」

三つ指を立て、頭を下げるその姿は、実に健気だった。
もし心に想う人がいなければ、土門少尉だってほだされていたかもしれない。けれど、彼には運命に導かれた愛しい人がいる。その人に土門少尉は心も身体も捧げると決めているのだ。

「雪絵さん、あなたの気持ちは嬉しい。しかし自分には応えられない」

「なぜ…でしょうか?」

「自分にはすでに心に決めた人がいるのです」

「……………大切な方、なのですか?」

「自分の全て、です」

「……………」

雪絵は顔を歪める。

「申し訳ない」

「どうしても、ですか?私と少尉は今日お会いしたばかりです。少尉は私のことを何も知りませんよね?私のことを知ってもらえば、気持ちが変わる可能性も…」

少尉は手を上げ、雪絵の言葉を遮った。

「並川氏のご息女ならば、素晴らしい女性に違いない。あなたがどう、ということではないのです。相手が誰であれ、私の彼女に対する気持ちは決して揺るがない」

「……………」

「わかってもらえますか?」

「……………はい」

蚊の鳴くような声で雪絵は答える。少尉はほっとした顔を見せると、早々に腰を上げた。


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