殺意の善光寺
女は部屋の隅で、スマホを操作する。指が小刻みに震えてた。
『聞きたいことがあるの』
送ったDMにはすぐに返信が届いた。
『私にはないわ。もう連絡はしない約束よ』
『でも。刑事に聞かれたわ…』
何度か送受信を繰り返すと、女は疲れた様子でスマホをクッションへ投げ捨てた。
一方、DMを受け取った女はギリッと爪を噛む。
あんな女のせいで計画に綻びが出るなんて許されない。
自分の計画は完璧だ。
そう、私は優れている……あんな女達より。
それを見抜けなかったあの人の罪は重い。
女は空虚を睨んだま、深く体をソファに沈ませた。
府警へ戻り、2度目の捜査会議ではいくつかの事実が判明した。
坂井田茉由のアリバイを調べたところ、確かに殺害当日、彼女は夕方まで派遣されたホテルでの清掃業務を行い、夜には歓楽街で男と歩く姿が防犯カメラに収められていた。相手の男性も見つけ出し、しぶりながらも茉由との関係を認めた。
もう一つ有力な情報として、事件直前の蓑島冬樹の足取りが判明した。
彼はホテルにチェックイン後、軽装で出かけていた。善光寺近くの路地でタクシーを降り、善光寺に向う後ろ姿が防犯カメラに映っていた。しかしそれ以降、善光寺をおとずれる人間はいない。
後でわかったことだが、この日は住職が総会へ出かけていたため寺は留守だった。そのため本殿の扉も閉ざされ、檀家や近所の人間も寺をたずねることはなかったという。
「蓑島さんはそんなに日なぜ善光寺を訪れたのか…」
謎は残ったまま、今度は毒物へと話題は移る。その出処については、マリコから聞いていたとおりだ。
「当時、窃盗事件として所轄が捜査したようですが、犯人の目星は立たず、薬品の行方も不明だったようです」
「つまりその窃盗犯が殺人犯か、窃盗犯から犯人が手に入れたか…。いずれにしても毒物の出処が同じなら、やはり2つの事件には関連性があると見るべきだろう」
藤倉の結論に土門とマリコ、千津川もうなずいた。
「あのぉ…」
のっそり手を上げたのは鶴井だ。
「私、少し気になることがあるんですが…」
「鶴さん?どうしました?」
「坂井田さんの奥さんのことです」
「彼女が?」
「あの人、清掃会社に勤めているんですよね?もしかして派遣先に蓑島さんの宿泊していたホテルや京都工科大学があったりしませんかね?」
「「「「!」」」
鶴井の指摘に、全員が息を呑んだ。
「鶴さん、それだ!」
「すぐに調べてみます!」
土門は椅子を鳴らして立ち上がる。
「頼むぞ、土門」
「はい。蒲原!」
藤倉に背中を押される形で、二人の刑事は捜査一課を飛び出していった。
「もし鶴さんの指摘した通りだとしたら、蓑島さんを殺害したのは坂井田茉由?しかし、動機が分からない…。蓑島さんと彼女に接点はないんですか?」
「ええ。今のところ見つかっていませんね」
「そうですか…」
藤倉の答えに千津川はため息をついた。
そこで全体の捜査会議はいったんお開きとなった。
しかし残った長野組、藤倉、マリコはさらに意見を交わし続ける。
しばらくすると、マリコのスマホが振動した。
「土門さんからです。はい、榊」
短いやり取りの後で通話を終えたマリコは、興奮していた。
「鶴井さんの予想があたっていました。坂井田さんの奥さんは、事件のひと月前、京都工科大学へ清掃員として派遣されていたそうです」
「蓑島さんの宿泊先へは?」
「はい。そちらも派遣されていました。それも事件の3日前から事件当日までです」
「そうなると坂井田茉由は京都工科大学から盗み出した薬品を、蓑島さんに何らかの方法で飲ませたということか…。予め部屋番号を調べ、スペアキーを作っておけば犯行は可能だな」
「ですが、確実に蓑島さんに毒物を飲ませるのは至難の技です。まず彼女に薬品を扱う知識があるか。もし彼女が経口摂取させたのなら、どんな方法を取ったのか…」
藤倉の言葉に、マリコはいくつかの疑問を口にした。
「確かに。飲食物に混ぜたところで、簑島さんがそれを口に入れるとは限らないですね」
同調したのは千津川だ。
「はい。やはり…」
「榊さん?」
「協力者がいるのではないでしょうか?」
「私もその可能性は高いと考えています」
「しかし一体誰が…」
「簑島さんの奥さんという人はどういう人なんでしょう?」
「鶴さん?」
「この事件の関係者の中で、あまり詳しいことがわかっていないのは、その人だけですよね?警部、北本達に詳しく調べさせてみてもいいのでは?」
「そうですね。すぐに北本に当たらせましょう」