殺意の善光寺



長野と京都の即席チームは、坂井田のアパートに妻をたずねた。
「はい」とか細い声に続いて、チェーンロックの隙間から少しだけ顔がのぞいた。

「京都府警の土門です。ご主人の事でお話を聞かせてもらえますか?」

「今…?」

「これから何かご予定が?」

「……………散らかってますけど、どうぞ」

部屋にあがった4人は「散らかっている」という表現どころか「荒らされている」といったほうが似つかわしい室内に驚いた。

「奥さん、これは…」

「直哉よ」

そういうと坂井田茉由さかいだまゆは顔を覆っていたマスクを外して見せた。
頬には紫のあざが残り、唇も切れていたのか腫れている。

「その怪我もご主人が?」

「もう2年以上も前からよ」

「ひどい…」

蒲原から自然と言葉が漏れた。

「警察から直哉が殺されたって聞いて、犯人には心底感謝してる。本当は私が殺したかったけど、もし上手く行かなかったら、こっちが殺される。それが怖くてずっと何も出来ずにいたの。だから、どこの誰だか知らないけど、お礼を言いたいくらいよ」

「あなたは殺していない、と?」

千津川の質問に、茉由は力強くうなずいた。

「私じゃない。私は直哉が殺された日、京都にいた。いつも通り昼も夜も働いていた」

疲れ切ったような声だった。

「我々はあなたのアリバイを確認しなくてはなりません。勤務先を教えて下さい」

「昼は清掃。夜は……風俗」

茉由は、ちらりと男たちを見た。

「こんな顔でも指名してくれる客もいるのよ。ホント、男ってバカばっかり!」

吐き捨てるように言う。

「後ほどご遺体の引き取りの件で、長野県警から連絡があると思いますので…」

言いかけた鶴井を茉由は遮る。

「いらないわ。そっちで適当に処分して。もういいでしょ。帰ってくれない?」



「最後に、坂井田さん」

土門は茉由を引き止めた。

「あなた蓑島冬樹という名前に心当たりはありませんか?」

茉由はゆっくりと顔を上げ、土門を睨みつける。

「さあ?知らないわ」

「そうですか。失礼しました」

4人は坂井田のアパートを後にした。




「土門さん、なぜ彼女に蓑島さんのことを?」

鶴井がたずねた。

「勘です。…すみません」

照れた様子の土門に、鶴井は首を振ってみせた。

「いや。あなたほどの刑事の勘なら、無視はできませんな」

鶴井も何か思うところがあるのか、ふむ…と考え込む。
しかしその思考を中断させるように、千津川のスマホが鳴った。

「失礼。はい、千津川」

千津川は時おり相槌を打ちながら、長いこと相手の話に耳を傾けていた。

「わかった。ご苦労さん」

千津川が通話を終えると、全員が彼の言葉を待った。

「北本からの報告です。長野に残ったメンバーには、土門さんから頼まれていた蓑島さんの家族とその周辺を調べてもらっていました」

「ありがとうございます。それで?」

「奥さんは『自分は関係ない、殺していない』の一点張りだったようです。実際、蓑島さんが殺害された日には長野に居たことが確認されています」

「そうでしたか…。坂井田さんは奥さんへのDVや素行について調べたら、殺害される動機が何か出てくるかもしれません。しかし、蓑島さんの方は…」

土門は腕を組み考え込む。

「証券会社の支店長ですし、北本の印象では、奥さんは大人しく家を守るようなタイプのようです。職場でも夫婦仲の良さは有名だとか」

「やはり殺害場所の名前が善光寺というだけで、2つの事件は無関係なのでしょうか」

蒲原の言葉に全員がどこか釈然とはしないものの、この先を攻めあぐねていた。
マリコから連絡があったのは、まさにそんな時だった。

「榊、どうした?」

『土門さん。殺害に使われた毒物、残念だけど一致しなかった』

「…そうか」

『でもね』

「ん?」

『蓑島さんに使われた青酸化合物は、京都工科大学から紛失届けがでていたの』

「なに?」

『それでね。調べてみたら、京都工科大学からは同じ日にもう一件、紛失届けがでていた。それがね…』

「まさか…」

『長野の坂井田さん殺害に使用された青酸化合物と一致したわ』

「ということは…。犯人が京都工科大学から盗んだ可能性が高いな。やはり2つの事件には接点がありそうだ」

『ええ。私もそう思うわ』

「榊は引き続き毒物の分析を頼む」

『わかったわ』


土門がマリコからの報告を伝えると、刑事たちの目に鋭さが戻る。

「一度府警に戻って、他の捜査員からの情報も併せて整理しましょう」

一行は蒲原の運転する車で府警への道のりを急いだ。


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