殺意の善光寺
ここ数日長野県では大きな事件も発生せず、県警捜査一課
「警部。今夜帰りに…どうですか?」
くいっと動く指の間には、まるで猪口が見えるようだ。
「いいですね。しかし、鶴さん。こんな日ぐらい早く帰らないと、奥さんに怒られるんじゃないですか?」
千津川警部は笑いながら相棒の
「何を言うんですか!こんな日だからこそ、警部を誘ってるんですよ。大体いつも電話がかかって…………」
プルプルプルとコール音がけたたましく鳴り出した。
「言わんこっちゃない…。はい、捜査一課」
鶴井は話を聞きながら素早くメモを取ると、受話器を置いた。
「殺しです。善光寺さんで」
全員がピリリとした空気をまとう。殺しという事件もだが、善光寺という場所も問題だった。長野県、いや国内でも有数の有名寺社での事件。そして何より、長野県民は善光寺に「さん」付けするほどの深い信仰と敬愛を抱いているのだ。
「みんな、行くぞ!」
「「「「「はい!」」」」」
千津川の掛け声に、みなは一斉に立ち上がった。
現着してみれば本殿のさらに奥に建立された忠霊殿の裏手、草の茂みに遺体は倒れていた。争ったような跡も、血痕も見当たらない。
千津川は注意深く遺体を観察する。
「警部」
遺留品を調べていた鶴井が、シルバーのトレイを手に千津川の隣に並んだ。
「被害者は
「京都?」
「はい。それと、ガイシャのスマホのカレンダーに、えーと。
千津川班の一人、北本刑事は坂井田のスマホのカレンダーアプリを起動した。今日の日付をタップすると詳細が現れる。
「坂井田さんは今日の予定をここに書き込んでいました」
千津川はその画面を見ると眉を潜めた。
「下京区、善光寺?」
「はい。調べてみたら、確かに京都の下京区にも善光寺という寺がありました」
「なに?それじゃあ、この被害者は京都の善光寺へ行くはずが、長野の善光寺に来てしまった…ということか?」
「まさか…。さすがにそんなことはないと思うんですがね」
鶴井も首を捻る。
「いずれにしても。まずは所轄と協力して周辺の聞き込みだ」
「はい」
北本はすぐに動き出した。
「警部。京都府警に被害者の照会はしますか?」
「ええ、お願いします。あ、いや。鶴さん、私がしますよ」
「警部が?」
「久しぶりに彼と話してみたいんです」
「彼?……ああ!」
千津川のいうところの“彼”に思い当たった鶴井も、「そうですな」と懐かしそうにうなずいた。