殺意の善光寺
土門を乗せたタクシーは予想に反してなかなか見つからなかった。
しかし、マリコと蒲原が聴き込んだタクシー会社の運転手から妙な証言を得た。
「長野のタクシー、ですか?」
「そう。多分ロングの客を乗せてきたんじゃないの」
『
「それ、どこのタクシー会社か覚えていますか?」
「さすがに覚えてないよ。ああ、でもドライブレコーダーに残っていると思うけど」
「見せてください!」
ずいっと割り込んだのはマリコだ。
「え?ええ。じゃあ、どうぞ」
マリコがドライブレコーダーを確認すると、確かに長野ナンバーのタクシーが映っていた。すぐに蒲原がそのタクシー会社に連絡を取ると、該当のタクシーはちょうど別の客を乗せて長野に向っている途中らしい。
「京都まで乗せた客の名前、教えてもらえませんか?」
『ええと、坂井田茉由さんですね』
電話の向こうでマウスのクリック音がする。
「昨日の車内の映像は手に入りませんか?」
『ありますよ。一日の終わりに必ず映像を本社に送る決まりですから』
「坂井田茉由さんの映像を送ってください」
程なくして、マリコのタブレットに動画が送られてきた。確認すると、マスクで顔を隠しているが、間違いなく簑島すみれだ。
彼女は一度タクシーを降り、数十分後、再び乗車した。今度は連れの男性がいる。土門だ。しばらく走るとタクシーは停車し、二人揃って降りて行った。
「ここが土門さんが襲われたアパートね。すぐに調べましょう」
蒲原とマリコはアパートへ向かう。そこで蒲原が要請した鑑識と科捜研メンバーが合流し、家宅捜索を開始した。
次々と採取される指紋をマリコ、亜美、宇佐見、君嶋の4人で照合していく。
室内には所々指紋を拭き取った形跡がみられたが、見つかる指紋の殆どが坂井田茉由と、不明な人間のものだった。
「もうひとり別の協力者がいたのかしら」
「土門さんを女性二人だけで運ぶのは難しいですよ」
「そうね。それにしても簑島すみれさんの指紋がないわね」
「拭き取ったんでしょうか。この場所のこともシラを切るつもりで」
「用心深い相手だわ」
しかし捜査員たちの『必ずホシを挙げる!』という執念が勝った。総力をあげて隅々まで捜索した結果、たった一つ。
浴室のドアから第三者の指紋が見つかったのだ。
マリコはその指紋を簑島すみれのものだと思った。
なぜなら採取されたその場所は、おそらく土門にスプレーを吹きかける際、反撃されないように浴室のドアを抑えていたと思われる位置だったからだ。そのうちの一つだけ拭き漏れてしまったのかもしれない。そして、その指紋が後に決め手となった。
帰宅した簑島すみれを、北本ら長野県警が待ち構えていた。
彼女はおそらく土門の無事を知らない。
そして指紋も完璧に拭き取り、あの場所に自分が居たという証拠は何もない。
自分を過信し、そう信じ切っていたから、彼女は大人しく任意の事情聴取に応じた。
しかし聴取の際に提出した指紋と浴室で発見された指紋は完璧に一致した。あのアパートに簑島すみれが居た事を科学が立証したのだ。
「やあ、土門さん」
退院した土門が捜査一課へ顔を出したとき、千津川は帰り支度をはじめていた。
「お見舞いに伺えなくてすみません。体の具合はもう…?」
「大丈夫です。千津川警部、お帰りになるんですか?」
「はい。色々とお世話になりました。今から県警に戻って簑島すみれの取り調べに立ちあいます」
「そうですか」
「報告は逐一させてもらいますから、ご安心を」
「お願いします。坂井田茉由の行方も情報が入り次第ご連絡します」
千津川警部はうなずいた。
「土門さん」
千津川は、改めてこの優秀な刑事に向き合った。
自分と同じように、彼もまた刑事は天職なのだろうと思う。強い正義感と、大胆な行動力、そして事件を見抜く鋭い目。優秀な刑事に必要な条件を彼は十分に満たしている。
しかし優秀だからこそ、忘れてはならないことがあるのだ。
「釈迦に説法かもしれないが、刑事は危険と隣り合わせの職業です。それはもう変えようがない。しかし土門さん。悲しませる相手は一人でも少ないほうがいい」
「千津川警部?」
「心労と疲労で倒れたそうですよ」
「え?」
誰のことか、聞くまでもない。
「藤倉刑事部長も心配していました。そんな無茶をさせないようにするのも、あなたの仕事だ」
「肝に。肝に銘じます」
意志の強い瞳が千津川を見返した。
その視線を受け止め、千津川は笑みをのぞかせると、「では」と鮮やかに敬礼し捜査一課をあとにした。
後に続く鶴井のウィンクが、不格好だったことは秘密にしておこう。