殺意の善光寺



ひとまず土門の無事が確認されたことで、マリコは日野から帰宅&休息を命じられた。

「でも、まだ事件が」
「マリコくん、これは僕と藤倉部長からの命令。それと皆からのお願いだよ。逆らう気かい?」

腕を組んで「ふんっ」と鼻息を荒くする日野の言葉に、マリコもここは大人しく従った。

しかしまっすぐ帰宅はせず、スーパーでいくつか買い物をすますと、マリコは自宅とは反対方向へ向かった。

「ここね」

個人病院だと聞いていたが、中々大きくて立派な建物だった。受け付けの職員に来院の目的と身分証を提示すると、すぐに病室を教えてくれた。

マリコは病室の前に立つと、小さくノックした。
眠っているかもしれないと思ったが、しっかりした声で「どうぞ」と返事があった。
引き戸を開けると、窓際のベッドには背もたれに寄りかかる土門がいた。

「やっぱり来たな」

にやっと笑うその表情はいつもと変わらない。

「なによ、来ちゃ悪いの?」

「そんなこと言ってないだろう?なんだ?機嫌が悪いな」

「当たり前でしょう!誰のせいだと思ってるの!!」

マリコはスーパーの袋をテーブルにドン!と乗せるやいなや、土門に飛びかかった。

「うわっ、榊!」

土門の首に腕を回し、ぎゅっとしがみつく。

「心配したわ!」

「榊」

「土門さんに何かあったらどうしよう…て不安だった!」

「すまん」

「もう、会えなかったら…って……………」

「すまん、榊」

声を震わすマリコを、土門はしっかりと抱きしめてやる。
痛いくらいの強さと、温かさと、香り。

――――― ああ、土門さんだ…。

マリコは改めてその存在の尊さに目頭を熱くした。

「俺も薄れる意識の中で、もうお前に会えなくなったらと思うと気が狂いそうだった。一目だけでもお前の顔が見たい…それだけが俺を生かす原動力だった」

「土門さん」

「榊。会いたかった…お前に」

「私も…」

土門はマリコの頬に手を添えると、自分の方へと引き寄せる。

「だめよ。ここ、病室」

「今だけ。許してくれ…」

切ないほどの囁きは、マリコを切望するあまりに掠れていた。




「土門さん。何があったか話して」

マリコはベッドの端に腰掛け、土門と手を握ったまま話しかける。

「ああ。俺は蒲原より先に坂井田茉由のアパートに着いたんだ。しかし彼女は留守だった。仕方なく帰りを待とうとしたとき、女が話しかけてきたんだ」

「その女の人って、この人?」

マリコはタブレットを取り出し、簑島すみれの画像を見せた。

「この女だ。本人は簑島すみれと名乗っていたが、間違いないか?」

「ええ。この人は簑島すみれさん。長野の被害者、簑島冬樹さんの奥さんよ」

「そうか。俺をはめたのは彼女だ」

「え?どういうことなの?」

「彼女は始め、俺に助けてくれと言ってきたんだ…」

土門が簑島すみれから聞かされた話はこうだ。

2週間くらい前から、坂井田茉由に夫の殺害を手伝うように強要されていた。もちろん自分はは断った。しかし断り続けていたら、今度は「それならお前の旦那を殺す」と脅された。怖くなり、仕方なく坂井田さんを呼び出す手伝いをした。ところが事件の口止めとして、結局夫は殺されてしまった。それからも茉由とその仲間の男に監視されているようで恐怖を感じている。


「彼女は、俺が坂井田茉由の部屋をたずねているのを見て、警察だと勘づいたそうだ。だから保護してほしいと近づいてきた」

「そう。土門さん、蒲原さんの話では坂井田さんはクスリの売人だったそうよ」

「なに?それも何か関係があるなかもな…。彼女の話では、坂井田は酷いDV夫だったそうだ。実際、茉由には暴行された跡があったし、本人も夫の犯行だと訴えていた」

「ねえ」

「なんだ?」

「簑島すみれさんは坂井田茉由さんに脅されたと言っていたのよね?」

「ああ」

「そもそも二人はどこで知り合ったの?脅されたり、殺人を手伝わされたり、よほど親密な関係だったと思わない?」

「確かにな。それについて彼女は何も言わなかった。聞く前に俺はこのザマだったしな」

土門は肩をすくめる。

「そう。二人の接点を調べる必要がありそうね」



「その必要はありませんよ」

コンコンと、後付けで形ばかりのノックをした男。

「瓜生?なんでお前がここに?」

「あ!土門さんはまだ知らなかったのね。ここは須藤組が経営する病院で、土門さんを見つけてここに運んでくれたのは瓜生さんなのよ」

「こいつが?」

「ええ、そうですよ。驚きました…工事現場の掘削跡からあなたが見つかったんですから。一体何があったんですか?」

「助けてもらったことには礼を言うが、捜査に関わることだ。お前には話せない。それよりさっきの言葉はどういう意味だ」

「土門さん、ギブ・アンド・テイクと行きましょう。これまでの経緯を教えてくれたら、私も答えますよ」

相変わらず食えないヤツだ、と土門は嫌そうな顔をする。

「瓜生。お前はなぜ、そんなにこの事件を気にかける?」

「坂井田は我々を含め、この界隈を束ねる組織にとって害虫だったんです。駆除されたのはありがたいことですが、誰が何のために手を下したのか…把握しておきたいんですよ」

「須藤の指示か?」

「まさか!私の一存です。土門さんの話を聞いて、必要とあらば伝えますが。どうします?」

しばらく考え込んだ土門だが、ここは瓜生に手の内を晒すことにした。
土門の勘では、おそらくこの事件の背景にあるのは怨恨だ。それも組や組織といった大掛かりなものではなく、むしろ狭い世界での私怨。それなら須藤の耳に届き、大事になる可能性は低いだろうと踏んだ。

「いいだろう。お前のことだ。長野と京都の事件の概要については知っているんだろう?」

「記者発表の内容程度なら」

「ふん。だったらそのあたりのことは割愛させてもらう。あの日の続きからだ」

瓜生はうなずいた。

「あの日、簑島すみれは坂井田茉由に呼び出されていたんだ。彼女は、坂井田茉由に会えば自分の話が真実だと分かってもらえるはずだ。だが、身の危険を感じるから一緒に来て欲しいと持ちかけてきた」

土門は話を続ける。

「俺は彼女に従い、タクシーで数分の場所にある古いアパートに同行した。その一室で二人は事件の準備や相談をしていたらしい。俺たちが着いたときにはまだ誰もいなかった。だから俺は使われていない浴室に隠れる準備をしたんだ。そしてドアを細く開けて、彼女の姿が見えるか確認しようとした…そのとき、顔にスプレーを噴射された」

「そして、そのまま意識を失ったのね?」

「ほんの少しの間は意識があったと思うが、記憶は曖昧だ。目が覚めたときには、このベッドの上だった」

「そのアパート、覚えている?」

「近くに行けば思い出す」

「わかった。蒲原さんに頼んで土門さんを乗せたタクシーを探してもらうわ」

「頼む。俺の話はこれだけだ。瓜生、坂井田茉由と簑島すみれの関係を教えろ」

ここまで黙って聞いていた瓜生が口を開いた。

「この二人はSNSの同じコミュニティーサイトの会員なんですよ」」

「コミュニティーサイト?」

「そうです。主に夫やパートナーからのDVや、浮気の悩みを共有するコミュニティーです」

「何故そんなことを知っている?」

「坂井田を調査して、すぐにDVの噂を聞きました。そこで念の為に奥さん側も調べてみたら、コミュニティーサイトを通じて頻繁に連絡を取っている人物がいたんです。それが簑島すみれという女性でした」

「個人情報保護法に抵触する気もするが、今回は見逃してやる」

「それはどうも」

瓜生は苦笑いだ。



「ねえ、土門さん」

今、マリコの脳裏では様々なパズルのピースがはめ込まれていた。
2箇所の善光寺で起こった殺人。
疑わしき妻たちには鉄壁のアリバイ。
しかし、二人を殺害した毒物を入手したのは、おそらく坂井田茉由。
その坂井田茉由と簑島すみれはSNSを通じて連絡を取り合っていた。
そして簑島すみれは嘘をつき、坂井田茉由に疑いを持つ土門の殺害を企てた。

「これって、もしかして」

「ああ。多分、交換殺人だな。すぐに二人の身柄を押さえよう」

土門はスマホを手に取ると、蒲原を呼び出した。ところが「なに?」と眉を上げるとすぐに通話を切った。

「どうしたの?」

「坂井田茉由が姿を消した」

「え?」

「榊、お前は蒲原と俺が襲われた部屋を探して、証拠を集めてくれ」

「わかったわ」

「瓜生、お前に頼みがある」

「乗りかかった船です。何ですか?」

「坂井田茉由は風俗店で働いていた。その方面から行方がわからないか調べてもらいたい」

「しばらく時間をください」

「ああ。頼む」

「土門さん、私も府警に戻るわ」

土門はうなずく。

「気をつけろよ」

「大丈夫よ」

軽く答えたマリコを、土門は真剣な声色でたしなめた。

「何かあっても、俺はすぐには駆けつけられない」

「注意するわ。………できるだけ」

「お前!」

マリコは手をふると、逃げるように部屋を出ていってしまった。


「……………苦労しますね」

瓜生の瞳には哀れみの色が浮かんでいる。

「余計なお世話だ!」

出会った頃よりは大人しくなったものの、相変わらず跳ねっ返りで、ちっとも言うことを聞かない。
でもそれが、榊マリコなのだ。
この世界でただ一人、土門が大切だと思う女性…。


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