はるか




――― ことの発端は、一通の手紙からだった。


この日、捜査本部が立つような事件もなく、捜査一課、科捜研ともに事件を抱えていなかったため、土門はマリコと食事をとり、そのままマンションへと向かった。
久しぶりにゆっくりと二人の時間が過ごせる…はずだったのだが。


「ねえ、土門さん。手紙が届いてるわよ」
「手紙?」
受け取った封筒の住所はこのマンションだが、宛名は『京都府警 捜査一課 土門 薫様』となっていた。
裏返せば、差出人は『はるか』。

「誰だ?」
『はるか』という名前に、土門は全く心当たりがない。
手紙を取り出し、読み進める土門の背後から、マリコも遠慮がちにのぞき込む。

『拝啓  土門薫様
 先日は大変お世話になりました。
 土門さんと過ごした二日間は、私の中で忘れることのできない体験となりました。………………』

手紙はまだ続いていたが、そこまで読んだマリコは、自分の顔がこわばり始めていることに気づいた。
土門の方は訳が分からないといった様子で、しきりに首を傾げている。

「…土門さん、この『はるか』って女性はだれ? お世話になったって…、いったいどういうこと?」
「いや、知らんな。 勘違いがか人違いじゃないのか?」
「でも、住所はこのマンション宛だし、『京都府警 捜査一課 土門薫様』って書いてあるのよ?人違いには思えないわ」
「いや、本当に心当たりはない。何かのいたずらか…?」
「いたずらって……」

マリコは土門の手から手紙を抜き取ると、続きの文面に目を走らせる。
そこには二人で尋ねた場所や、食べた食事の感想が書かれている。
何より手紙にあるその日付は、ちょうど土門が警視庁へ出張していた時期と重なっているのだ。

「本当に心当たりはないの?土門さん、いつも私に『俺には何でも話せ』って言うじゃない。だったら私にも話してちょうだい」
正直、マリコの気持ちは複雑だ。
すぐにでも土門を問い詰めたい。
でも、まずは土門の話を聞いてから…、と務めて冷静に話しかける。
しかし、土門は知らぬ存ぜぬの一点張りだ。
マリコは大きなため息を吐くと、バッグとストールを手に取り、『今日は帰るわ』と玄関へ向かった。

「待て、榊」
当然、土門はマリコを引き留めた。
本当に土門には心当たりがないのだ。だから説明したくても、できない。
しかし、土門の呼びかけにふり返ることなく、マリコは部屋を出て行った。

「………」
久しぶりの逢瀬の時間を台無しにしたこの手紙を、土門は苦々しく睨み付けた。



翌朝、出勤したマリコは自分の研究室に籠ったまま、黙々と鑑定作業に没頭していた。
宇佐見がお茶を煎れても、呂太が声をかけても、部屋から出てくる気配はなかった。

同じ頃、捜査一課でもちょっとした騒ぎがおこっていた。
昨日、土門に届いた手紙と同じものが、京都府警にも届いていたのだ。
手紙の内容はどちらも同じ。封筒だけが違っていた。
さすがに『いたずら』として片づけるわけにもいかないと判断し、土門は上司に相談した。



「土門。おまえ、警視庁への出張中に『はるか』という女性と、深い仲になったという噂は本当か?」
藤倉はいつにも増して苦虫を潰したような顔で土門に尋ねた。

「藤倉刑事部長…」
「わかっている。ちょっと尋ねてみただけだ…。しかし、お前の名を語る誰かがいるのだとすれば、大問題だ。その手紙、すぐに科捜研で分析してもらえ」
「……わかりました」
足取りの重そうな土門の後ろ姿を、何ともいえない顔で藤倉は見送った。



「失礼します」
「あ、土門さん!マリコさんなら研究室ですよ」
いち早く土門に気付いた亜美が知らせてくれる。
「いや。今日は…日野所長、ちょっといいですか?」
土門は所長室のドアをノックした。

「所長、この手紙なんですが……」
「藤倉刑事部長から話は聞いてます。…これがマリコくんの天岩戸の原因?」
日野の言葉に、マリコの様子を察した土門は、苦笑いを浮かべるしかない。
「すみません、よろしくお願いします」

結局、土門が科捜研を出るまで、マリコの研究室のドアが開くことはなかった。



事件が動いたのは午後。
「土門さん、小包届いてますよ。クール便」
蒲原が、小さな段ボールを土門の机の上に置いた。

「はっ?クール便?」
箱には『舟○ 芋ようかん』の文字。
差出人は『警視庁 春香 巽(はるか たつみ)』。

「……………おい、勘弁してくれ!」

段ボールを開け、中身を数箱取り出すと、土門は電話をかけながら慌ただしく一課を出て行った。
蒲原が中を覗くと、『先日は大変お世話になりました。みなさんで召し上がって下さい』と書かれたメモと、『要冷蔵』の文字が…。
蒲原は急いで残りの箱を冷蔵庫へ運んだ。



科捜研にて。
「失礼します」
「あー、土門さん。マリコさんなら、自分の部屋に籠りっぱなしだよぉ」
土門は、持っていた箱を呂太に渡すと、日野所長の研究室をノックした。
「わっ!舟○の芋ようかん♪ 僕大好きなんだよねぇ~。宇佐美さぁん、お茶っ」

「所長、失礼します」
土門が所長の部屋を開けると、日野はちょうど電話の最中だった。
慌ててドアを閉めようとした土門を、日野が制した。

「ちょうど今見えたところですよ。分かりました。この鑑定は必要なしですね」
どうやら、藤倉からの連絡らしい。
科捜研へ来る前に、土門は事の真相を藤倉へ伝えていた。
日野は、土門に了解の合図として頷いてみせた。
土門は一礼すると、マリコの研究室へ向かった。



「おい、入るぞ!」
いつも通りノックもせず、ドアを開ける。
土門が中に入るが、マリコは背を向けたままだ。

「何か用?」
いつもなら、『ノックぐらいしてよ』と文句を言いながらも、小さな笑顔を見せる彼女だが…。
――― これは、かなり怒っているな…。
さて、どうするか?…土門はマリコの肩に手を置き、椅子ごとこちらを向かせた。

「ちょっと!何!?」
「話がある、ちょっと来い」
「嫌よ、鑑定の最中なのよ!」
「所長の許可はもらってある。いいから来い」
強引にマリコの手を引いて研究室を出る。
そのまま土門は屋上へ向かった。


「土門さん、痛いわ。はなして」
屋上について、ようやく土門はマリコの手をはなした。
「榊」
「………」
「さかき」
マリコは小さく息を吐くと、ようやく土門の目を見返した。
「土門さんらしくないわよ、いったいどうしたの?」
「ちゃんと話そうと思ってな。昨日の手紙のことだ。お前には聞く権利が…いや、俺が聞いて欲しいんだ」
「………」
土門はスマホを取り出すと、マリコに差し出した。
「?」
「ここに、『はるか』との会話が録音してある。聞いてみろ」

マリコは逡巡したが、逃げることを許さない土門の視線に、スマホを受取ると、録音を再生した。

『もしもし、土門さん!先日はお世話になりました!二日間だけでしたけど、土門さんと一緒に捜査させていただいて、沢山勉強させてもらいました。もし京都府警に空きが出たら、ぜひ自分を呼んでください。また土門さんと一緒に捜査したいです!あー、蒲原さんが羨ましいっす!そうだ、ようかん届きましたか?捜査一課のみなさんや、土門さんがよく話されていた科捜研のみなさんでぜひどうぞ!』

「…この人が『はるか』さん、なの?」
マリコは訳がわからないといった様子で、土門を見つめる。

「そいつは、警視庁で一緒に捜査をした『春香 巽』というれっきとした男の刑事だ…」

――― 俺も知らなかったんだが…。
本人が言うには、名前の『巽』の方が苗字らしいという理由で、周りからは『巽』と呼ばれているそうだ。俺も『巽』が苗字だと思っていた。まさか『巽』が名前で『春香』が苗字だとは…小包の伝票を見るまで分からなかった。

「手紙は?所長から聞いたわ。昨日と同じ手紙が府警にも届いたって」

「それがな…小包に封書は同梱できないと店に断られ、別に投函したらしいんだが…。うちの住所の記憶が曖昧だったから、念のため府警にも送ったらしい…まったくはた迷惑な奴だ!」

トリックのネタはバラされてみれば、何ともばかばかしい。
よく考えてみればおかしい点もあったはずなのに、頭に血が上ってそんなことにも気づかなかったなんて…。
マリコはよくよく自分が嫌になった。そして、何よりホッとしていた。


「誤解はとけたか?」
「…そうね」
ばつが悪くて目を反らせたまま返事をするマリコの頬に手を添えて、土門はマリコの顔を自分の方へと向けさせると、その瞳をのぞき込んだ。
「ちょっと、土門さん…」
急に近くなった距離にマリコが顔を赤らめる。
本当なら、昨夜堪能できるはずだったその表情が、土門には愛おしくてたまらない…が、ここは府警の屋上だ。
「今日は早く上がれるのか?」
「その予定だけど…」
「なら、飯行くか?どうせ昼も食べてないんだろう?所長が『天岩戸』だと言ってたぞ」
からかうように、マリコの耳元で囁く。
「分かったわよ。お詫びに、今日は私が奢るわ」
マリコの顔がさらに赤みを帯びる。
「殊勝な心掛けだな。だが、飯は俺が奢ってやる。その代わり、昨日お預けになったご馳走は今日食べさせてもらうぞ!ちなみに、異議は認めん。…終わったら連絡しろ」

後でな、と言い残し、マリコのつむじにふわりと唇を落とすと、振り返ることなく土門は屋上をあとにした。
「もぉ…しばらく戻れないじゃないの…」
差し込む夕日よりも赤い頬が元に戻るまで、マリコの休憩は続く。



そのころ、科捜研では。
日「マリコくんたち、仲直りできたのかねえ」
宇「屋上に行かれたようですし、心配ないですよ」
亜「ちょっと呂太くん!その芋ようかん、みんなで分けるんだからね!」
呂「えー!じゃあ、あんこ玉の方は僕が全部もらってもいいよね~♪」
風「まいどー!ってあれ?今日は差し入れがいっぱいね?」
宇「風丘先生、いらっしゃい。今、お茶を煎れますね」
呂「わーい、今日は日本茶だね♪」
日・亜「「君は仕事しなさい!」」



fin.


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