愛だの、恋だの言う前に。
一方、京都府警のエントラスでは、外回りから帰ってきた土門が佐伯に捕まっていた。
「おお、ちょうど良かった。土門!」
「本部長、お帰りですか?お疲れさまです」
「そうなんだが。一つ頼まれてくれんかね」
「何でしょう?」
「今日中に発送したい郵便をデスクにしまったままにしてしまった。悪いが総務に渡してもらえんかね?」
「構いませんよ」
「今なら部屋には榊くんとうちの甥っ子がいるはずだから」
「榊と、ですか?」
以前のマリコとの会話を思い出し、嫌な予感が過る。
「そう。司法修習の研修課題の件で相談に乗ってもらっているらしいんだが…って、おい!」
「わかりました。郵便は出しておきますから!」
佐伯の話もそこそこに、土門は走り出す。
閉じかけたエレベーターに体当りして無理やり体を滑り込ませる。
中にいた婦警が目を丸くしているが知ったことか。
エレベーターが目的の階に到着すると扉が開く
佐伯本人から頼まれているのだから、問題はない。
土門はノックもせず、突然ドアを開けた。
「榊!」
そして部屋の中の光景に憤怒した。
そこには明らかに身を捩り拒否するマリコと、そのマリコにのしかかろうとする男がいた。
「土門さん!」
「貴様!」
土門はズカズカと大股で二人に近づくと、マリコの腕を掴んでいる男の指を一本ずつ剥がしにかかる。
「な、なんだ、お前!人の部屋に勝手に!」
「嫌がっているのがわからんのかっ!手を離せ!」
「うるさいっ!僕に指図をするな。僕の伯父は佐伯志信だぞ!」
「だから何だ?」
冷めた一言と同時に最後の指が剥がれ、そのまま男は土門に押し飛ばされた。
体はソファの上をもんどり打ち、床に尻もちをついた。
「くそっ!伯父さんに言いつけてやる」
「無理やり襲いかかろうとしたくせに何を言いやがる!」
「無理やりじゃない。彼女と合意の上だ!」
「ちがっ…」
思わずマリコが口を挟むより先に、土門はピシャリと言い放つ。
「そんな訳はない。こいつは俺のものだ」
「「え?」」
マリコと男の声が驚きにハモる。
「本当ですか、榊さん?あなたこんな粗暴な男のどこがいいんですか!」
「土門さんは粗暴なんかじゃありません。女性に無理やり襲いかかったりしないし、それを合意だなんて嘘もつかないわ!あなたなんかより、よっぽど…」
マリコの言葉に男の目が据わる。
「あなたたち、付き合っているんですか?」
「それは…」
「……………」
マリコと土門は顔を見合わせるが、答えは出ない。
ハッ、と男は嗤う。
「土門さんと言いましたね?僕は榊さんを愛しています。付き合っていないなら、邪魔はしないでもらいたい」
「断る」
「話にならないな。あなたたちは、ただの同僚でしょう?“恋人”じゃない」
「そうだ。だが、榊は俺のものだ」
「おい、いい加減に…」
男がいよいよキレ始める。
「愛だの、恋だの言う前に。こいつは俺のだ!だから手を出すな!!」
お互いがお互いのものだと、本当は気づいていた。
ただ言葉に出せなかっただけ。
その勇気ときっかけがなかっただけだ。
「土門さんの言う通りです。私はあなたとは付き合えません」
今度はマリコもはっきりと断言した。
「…………バカバカしい!榊さん、あなたには失望しましたよ」
勝手に盛り上がっておいて失望もなにもないものだが。
男は舌打ちすると、手近にあったゴミ箱を腹いせに蹴飛ばし、部屋を出ていった。
二人きりになると、マリコは「ごめんなさい」と謝る。
「明日、きっと部長に怒られるわね」
「何も悪いことはしていないんだ。堂々としてろ」
「うん。あの…」
「……………」
土門は深呼吸した。
人生には幾度かチャンスが訪れる。
きっと今がその時だ。
逃せば次はないかもしれない。
土門にはなりふり構わず、情けない姿を晒してでも手に入れたいものがある。
「さっきあいつに言ったことは本心だ。お前をモノ扱いしたことは謝る。だが、お前を誰にも渡したくない」
「私。……土門さんのものになってもいいわ」
「榊!?」
「だけど、やっぱり愛とか恋とか…言葉は、欲しいかも」
マリコはそういったことには淡白なほうだと思っていた。
それでも女性なら、憧れるシチュエーションなり、告白なりはあるのだろう。
「一度だけでいいの。聞かせて、土門さんの気持ち」
男、土門薫。
ここが一世一代の大舞台。
「誰にも渡したくないないくらいに恋してる。お前を俺だけのものにしたいんだ。榊。愛してる」
『やっぱり言葉は必要なのかもしれない』
マリコの嬉しそうな表情を見れば、そう思わざるを得ない。
とはいえ、昭和な男の自分は言葉よりも先に手が出てしまうことも否めない。
「ど、土門さん?えっと…」
「俺の気持ちは聞いたよな?そして、お前は俺のものになってもいいと言った」
「う、うん」
「まずはあの男の上書きからだ。嫌とは言わせない」
突然マリコは苦しそうに胸を押さえる。
「どうしよう…」
「榊?」
甘く切なく疼く恋の痛み。
「同じくらい強引なのに、土門さんなら全然嫌じゃないの」
土門は破顔する。
「そいつは光栄だ!」
愛だの、恋だの言う前に。
塞いでしまおう。
愛しくて恋しい女の唇を。
fin.