没ちゃん話
「なに、これ?」
マリコは足元に転がってきた物体を拾うと首を傾げた。
「ジャック・オー・ランタンだろ?ハロウィンの」
後から追いついた土門が律儀に答えた。
「それくらい知ってるわよ。そうじゃなくて……いったいどうなってるの?」
マリコが気になっているのは、目の前の光景だ。
午前中までは見慣れた京都府警のエントランスだった。それが洛北医大から戻ってみれば、府警は黒とオレンジと紫に染まっていたのだ。
壁のあちこちにはコウモリの絵が貼られ、受付けには黒猫のマスコットや、ミニカボチャが飾られていた。そして、何より目を引くのは床に置かれたジャック・オー・ランタン達だ。大小様々なジャック・オー・ランタンが背の順に並んでいるのは圧巻だ。
「全部、市内の小中学生の作品だ。これからの警察は親しみやすさも大切だ。市民が相談や通報しやすい環境づくりを積極的に行わないとな」
二人の背後からやってきた藤倉がもっともらしく解説をする。
「部長!」
「……というのが、本部長の意見だ」
「でしょうね」
土門とマリコは苦笑する。
親しみやすさも大切だが、これではショッピングモールのようだ。
「明日には撤去する。だが、やると決めた以上、今日一日はなりきってもらう。例外はなしだ。いいな、土門。榊」
「「はい?」」
何がいいのかわからず、顔を見合わせる二人。
すると。
「あ、いましたよ!」
加瀬の声に、「確保」と蒲原が叫んだ。
土門は蒲原と宇佐見に。
マリコは亜美と君嶋に両腕を掴まれた。
「お前……蒲原か!?」
「はい。抵抗虚しく、ヴァンパイアの衣装を着せられました。ちなみにそっちは宇佐見さんですよ」
コホンと照れ隠しに咳払いをする宇佐見。
二人とも、オールバッグに黒いマント姿だ。
「覚悟してくださいね、土門さん」
不敵に笑う宇佐見など、これまで見たことがない。土門は逆に空恐ろしさを感じて、身震いした。
一方、マリコの両側は、華やかな町娘風の亜美と、なぜか某国の姫君風の君嶋だ。
「君嶋さん、キレイねぇ」
呑気なマリコは思ったままの感想を口にした。
「言わないでください、マリコさん……」
悲愴な顔の君嶋は、「次はマリコさんですから」と亜美と二人、マリコを科捜研へと連行した。
かくして、数十分後。
ヴァンパイアと、貴婦人が完成した。
とくに貴婦人は地がいいだけに、かなりのクオリティだ。その噂を聞きつけ、京都府警の職員が科捜研へ押し寄せた。それぞれが仮装しているため、まるでヴィランズたちに襲撃されているような有様だ。
人垣の合間を縫うようにして、マリコは何とか科捜研を抜け出した。そのまま屋上へと逃げ込むと、扉の先には先客がいた。快晴の空にはまったく似つかわしくない黒いマント。
「土門さん!?」
「榊!?」
互いの姿を見て、二人は目を丸くする。
流石にオールバックではないが、タッパのある土門にはモーニングがよく似合っていた。少々お腹が出ているのは愛嬌だろう。
そしてマリコは、首から胸元まで大きく開いたクラシカルなドレスを見事に着こなしていた。
真っ白な肌に美しく浮き出た鎖骨、まるで白磁の陶器のようだ。
「逃げ出して来たのか?」
「だって、色んな人がひっきりなしに訪ねて来るんだもの。仕事にならないわ」
それはマリコをひと目見たさに集まった男たちなのだろう。
土門は面白くない。
無防備すぎるマリコにも、少々腹が立つ。
そこで、土門は一計を案じた。
「なあ、部長が言ってたよな。やると決めた以上、なりきれと」
「そうね」
「だったら、俺たちもヴァンパイアと獲物の貴婦人になりきらないとな」
「ええ。だから、こうして着替えたでしょ?」
「まだ足りないと思わないか?」
「何が?」
「ヴァンパイアといえば、吸血だ。ということは、獲物に吸血の跡をつけないとな。榊、覚悟はいいか?」
「え?え??」とマリコが困惑する間に、土門は白いうなじに顔を埋めた。
本当に噛み付くわけにはいかない。柔らかく吸い付き、土門は歯型ではない印をつけた。
突然のことに驚き、マリコは口をパクパクさせている。
「なあに。みんなヴァンパイアに噛まれたフリだと思うさ」
悪びれもせず、あっけらからんと笑う土門。
「そ、そうなの?」
「そうだ」
「う、うん……そうね」
勢い、丸め込まれたマリコだったが。
“んなわけ……あるかい!”
果たして。
虫刺されのような赤い跡一つが、府警の男性陣に大騒動を巻き起こした。男たちの襲撃は止まず、マリコは仕事ができないと再び落胆した。
そんな中、この騒動の張本人、土門だけが実に清々しい気分でその様子を見ていた。
「余計な虫は邪魔だからな」
バサッとマントを翻すと、
fin.
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