物理研究員にご注意を。
「なに?橋口は教師になったのか?」
「科学分野専門なんだけどね。子どもたちに科学の楽しさを広める仕事。呂太くんにはピッタリだと思わない?」
そう言われても、土門は答えに窮した。
確かに恩師を尊敬しているようには見えたが、あんなにマイペースで大丈夫なのか…。
土門は笑って誤魔化した。
二人の居るここは、新装科捜研。
マリコの部屋も以前より広くなったようにも感じる。
機材なども増えているだろう。
そんなマリコのデスクには、呂太が鑑定の際に使っていたカラフルな人形たちが並んでいた。
「で、これは橋口の置き土産か?」
「何だか処分する気になれなくて。ここに置いておくと、呂太くんも一緒に鑑定してくれているみたいで心強いのよ」
「……………………そうか」
土門はじっと人形を見つめる。
のっぺらぼうなはずのその顔が、どことなく呂太の面影を宿しているように見えてきた。
マリコは人形を手に取ると、座らせてみたり、寝かせてみたりと、何だか楽しそうだ。
「呂太くん、今ごろどうしてるかなぁ」
まるで相手を恋い慕うかのような口ぶりに、さすがの土門’s眉がぐぐーと角度を上げた。
よく考えてみれば。
歴代の物理研究員とマリコの関係は、ほかのメンバーたちとは少し違っていた。
例えば、乾。
言い方は悪いが、彼はマリコに下僕のように扱われていた。
本人もそのことに対しては不満をたらたらと漏らしていたが、結局はマリコに従うのだ。
マリコにしてみれば、乾を買っているから、彼を振り回すのだ。
もちろん、当人にその意識はないだろう。
そんな二人の関係性を象徴するのは、乾が科捜研を退職するときだろう。
さすがのマリコも瞳を潤ませ、声を詰まらせていた。
乾の未来を応援しながらも、マリコは寂しかったにちがいない。
そして、相馬。
彼は一風変わった男だった。
しかしその変人っぷりと、マリコの空気を読めない性格が見事にマッチしていた。
まるで歯車のように。
マリコは相馬を叱咤激励し、彼の成長を見守っていた。
相馬を弟のように思っていたのかもしれない。
だからか、相馬がアメリカに渡った後も、マリコは相馬を頼りにしていたように思える。
ダイエット菌の事件がいい例だ。
さて、問題の橋口。
と、そこまで考えて、土門は猛烈に腹が立ってきた。
マリコは物理研究員に肩入れしすぎるのだ。
大体、なぜ物理研究員はみんな男なのだ。
新しく加入した君嶋も男だ。
先日の古久沢といい、物理を志す人間に女性はいないのか!
…完全なる八つ当たりである。
要するに、土門は同僚だろうがなんだろうが、マリコが他の男を気にかけるのが気に入らないのだ。
何なら鑑定以外の話題で、男の名前が出るのも気に障る。
宇佐見も、蒲原も例外ではない。
「小さいわね」
そうだ、自分はなんと器の小さい……。
「なに?どういう意味だ?」
「え?」
突然マリコの肩を掴んで詰め寄る土門に、マリコのほうが驚いた。
「あの。この指紋のことだけど?」
「なんだ、指紋か…」
「土門さん、どうかしたの?」
「ん?…なぁ。この研究室、どこが新しくなったんだ」
勘違いしたことが気まずくて、土門は話題を変えた。
「色々よ。機材の並びとか…。あ、そうそう。とっておきがあるわよ。見てて」
マリコは立ち上がると扉へ向かい、スイッチを押した。
あっという間に、透明なガラスが曇る。
「おっ、すごいな」
「ね。鑑定に集中したいときはもってこいよ」
「他にも使い方はありそうだな」
「他に?」
「なんだ、分からないのか?」
「土門さん、何かアイデアがあるの?」
「ある」
「え!すごいじゃない。教えて!」
「ああ。説明するからちょっとこっちに来い」
手招きされるまま、土門のもとへ向うマリコ。
途端にぐいっと腕を引かれ、あっという間にマリコの体は土門の胸の中に閉じ込められる。
「土門さん、ここ科捜研よ!」
小声で抗議するマリコに構わず、土門はマリコへ顔を近づける。
「誰からも見えちゃいない」
「そういうことじゃなくて…」
「教えて欲しいんだろう?この曇りガラスの使い道。お得意の検証といこうじゃないか」
「検証って?んっ………………」
目隠しされた箱の中で、何度も繰り返させる実験。
啄むような軽いレベルから、徐々にレベルアップしていく。
リップ音と吐息に比例して上がっていく体温と速まる鼓動。
やがてそれらが静まるころ、土門はマリコへ言った。
「君嶋といるときは、曇りガラスにするなよ」
「どうして?」
「どうして、って…。とにかく曇りガラスにはするな。それから、できるだけ二人きりになるな。気に食わん。わかったか!」
耳を赤くした不機嫌顔に、やっとマリコも何かに気づき、クスッと可愛らしく笑う。
君嶋には妻子があるのだが、それは内緒にしておこう。
だって、目の前の焼き餅が美味しそうだから。
「わかったわ。その代わり、土門さんと居るときには曇ガラスにしてもいい?」
「ぜひ、そうしてくれ」
ニヤリと笑って、最後に一つ。
小さなkissを呂太の人形は目撃していた。
fin.
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