壮春



しかし、思った以上に事件は難航した。
人質になったのが民間人ではなく警察関係者だということで、上の動きが鈍いのだ。
いつもなら犯人の要求にある程度は応えるはずなのに、今回は食事を届けることにも待ったがかかった。
少しでも時間を引き伸ばして、その間に何とかならないか…とお偉い方は快適で安全な会議室で議論しているのだ。

『事件は会議室で起こってるんじゃない!』

どこかで聞いたセリフだが、まさにその通りだと土門はほぞを噛んだ。

ただ朗報もあった。
事件を聞きつけ、科捜研のメンバーが駆けつけてくれたのだ。
彼らはマリコ救出のため、テキパキと機材の準備を進める。

「土門さん、あの換気扇の隙間からファイバースコープカメラが入るんじゃないでしょうか?」

「本当ですか!中の様子が分かれば、対策も立てやすい。宇佐見さん、ぜひお願いします」

「やってみます!」

マリコを助けたい気持ちは宇佐見とて同じ。
宇佐見と呂太は静かに壁際まで近づくと、慎重に換気扇の隙間へカメラを差し込んでいく。

土門は科捜研の車に乗り込むと、亜美と並んでモニタをチェックする。
ファイバースコープの先端を曲げると、部屋の中央付近が画面に映し出された。

マリコは両手を縛られ壁際に座らされていた。
怪我はしていないようなので、皆一様にほっとした。
犯人は反対側の壁に置かれた丸椅子座り、スマホを弄っている。
恐らくSNSなどで、外の状況を確認しようとしているのだろう。

「宇佐見さん、ばっちり映ってます。音声も拾えますか?」

亜美が無線でたずねる。

『やってみます』

間もなく、空調の機械音が聞こえた。
すると続けて二人の会話も鮮明に聞こえてきた。


『くそっ、車はまだか!遅いな』

しびれを切らした男が吐き捨てるように言う。

『苛立っても仕方ないわよ』

『あんたは随分と落ち着いてるな。怖くないのか?仮にも人質だぞ!』

『怖いわよ』

すんなりマリコは白状する。

「榊…」

土門の胸が痛んだ。

『でも、信じてるから』

『仲間をか?』

『ええ。あと…』

マリコは不自然にならないように、体を換気扇側に向けた。

『相棒を』

その瞳はファイバースコープのカメラを通して、その先にいる土門を見ていた。

「待ってろよ…」

まるでその言葉が聞こえたかのように、マリコは小さくうなずいた。



しかし時間は無情にも過ぎ、男の我慢もいよいよ限界に近づいていた。
椅子に座り、ひっきりなしに貧乏ゆすりをする男。
そのうち爪まで噛み始めた。

『あー!もう待てねぇ。おいっ、あんた!』

男はマリコを立たせると、ナイフを突きつけたまま部屋を出た。

「まずい!」

モニターを見ていた土門は科捜研の車を降り、急いで最前列へ向った。



男はマリコを盾に、周囲を取り囲む特殊班へ怒鳴った。

「お前ら、俺の要求は飲めないらしいな!だったら俺にも考えがある」

突然、銀色の光が走った。
男が手にしたナイフでマリコの腕を切りつけたのだ。
マリコの白衣に赤い染みが滲む。

「……!」

声こそ上げないが、マリコは唇を噛みしめ痛みに耐えた。

「あの野郎!」

マリコの血痕を目にし、土門の怒りは青く燃え上がる。

「俺は本気だ!」

再び男はナイフを振り上げた。

「待て!」

捜査員が放った一言に、男の注意が一瞬逸れた。
そのタイミングを見逃さなかったのは、刑事と科学者の対。

スルッと男の腕の中からすり抜けるようにマリコはしゃがんだ。
そして、走り出す。

「待て!こいつ!!!」

マリコの白衣を捕まえようと伸ばした男の手は、彼女を守ろうとする土門の手によって阻止された。
そして、土門はそのまま掴んだ男の腕を背後にねじり上げ、同時に足払いを食らわせた。
男は土門とともにアスファルトへもんどり打って倒れこんだ。

「おい!確保っ!」

その一言に詰めていた特殊班の面々が二人にのしかかる。
そして、あっという間に男は手錠をはめられ、捜査車両へと連れて行かれた。


「土門警部補、怪我は?」

特殊班班長が土門を助け起こしてくれた。

「大丈夫です。それより、榊は?」

「向こうで怪我の手当を受けているはずだ。念の為、救急車も手配しておいた」

「ありがとうございます」

班長は土門に敬礼すると、足早に現場へと向かった。



土門がマリコを見つけると、すでに科捜研の面々に囲まれていた。
皆も心配していたのだ。
きっと無事を喜び合っているのだろう。

ところが、聞こえてきた会話はまったく違うものだった。

「宇佐見さんは、先に科捜研へ戻って鑑定の準備をお願いします。呂太くんと亜美ちゃんは特殊班の人たちと一緒に現場検証と写真撮影をお願い」

マリコは腕に応急処置をしただけで、仲間に仕事の指示を出していた。
あろうことか、救急隊員を待たせて、だ。

「おい、いいかげんにしろ。皆やるべきことはわかってる」

「土門さん!でも…」

「一番わかってないのはお・ま・え・だ!さっさと病院へ行くぞ!」

土門は半ば強引に、マリコとともに救急車へ乗り込んだ。

「お待たせしました。お願いします!」

救急隊員はほっとして、すぐにエンジンをかけた。

「マリコさん、こちらは任せてください。土門さん、よろしくお願いします」

宇佐見の言葉に、土門は力強くうなずいた。


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