お空のすべり台
今後の方針が決まったところで、土門は藤倉へ。
マリコは日野へ、それぞれ報告と、休暇の申請を行った。
上司たちはこれまでの経緯を聞き、二人の休暇を快く承認してくれた。
それに伴い、捜査員たちも署に戻るよう指示が出た。
「昊、支度はできたか?」
「うん!」
いつも通り、お気に入りのキャラクターのリュックを背負うと、昊は元気よく返事をした。
「美咲。明日、何時でもいいから迎えに来てちょうだい」
「わかったわ。ありがとう、マリコ。昊、いい子にしてね」
「うん!ママー、パパー、またね〜」
土門と手をつなぎ、昊はスキップしながら玄関へ向かった。
「マリコさん」
帰り支度をしていた蒲原が、マリコを呼び止めた。
「なに?」
「藤倉部長から言伝てです。マリコさんの家に向かう前に、一度部長のところへ寄るようにと」
「え?」
「昊くんも一緒に、だそうです」
「そう。わかったわ。土門さんに伝えるわね」
「お願いします」
「私たちは先には戻るわ。蒲原さん、後をお願いね」
「はい」
マリコは美咲に手を振ると、土門と昊を追いかけた。
蒲原の伝言を告げると、土門は車のハンドルを府警へ向けて切った。
府警に着くと、過去に何度も訪れたことを思い出した昊は、ご機嫌にフロアを走り回る。
「昊。走るな」
「はーい」
「さ、行きましょう。部長が待ってるわ」
「ぶちょー!?行く、行く」
リュックが左右に揺れるのも構わず、昊はパタパタとエレベーターに向かって走り出す。
「こら、昊!あいつ、転んだらどうする……あ!」
土門が言い終わらないうちに、昊は足をもつれさせてコロンと転がった。
「言わんこっちゃない!」
慌てる土門の前で、昊はむくっと起き上がる。
パタパタと洋服をはたくと、後ろを振り返った。
膝頭を擦りむいたのだろう。
血が滲んでいるのが見える。
しかし昊は口をへの字にしながらも、泣くまいと歯を食いしばり、二人が来るのを待っていた。
「昊、痛むか?」
コクン、と昊は頷く。
「部長のところで手当させてもらおう。昊、もう走るなよ?」
コクン。
もう1度昊は頷いた。
「偉いな」
ぐりぐりと土門に頭を撫でられると、昊は土門のジャケットの裾をぎゅっと掴んだ。
「…………」
土門は目を細めて昊を見下ろす。
優しげに微笑むと、昊の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。
マリコはそんな二人の背中を微笑ましく思いながら後に続いた。
コンコンコン。
「入れ」
バタン!と少々乱暴にドアを開けると、弾ける元気玉が藤倉の部屋に転がり込んできた。
「ぶちょー!」
「おお、昊。元気だったか?」
わざわざ立ち上がり、藤倉は小さな客人をもてなす。
「うん!」
「そうか!よしっ」
走り寄ってくる昊を、藤倉は自然に抱き上げた。
「以前より重くなったな?」
藤倉は嬉しそうだ。
「ん?怪我をしたのか?」
昊の膝に気づいた藤倉は、後からやってきた二人を見た。
「エントランスを走っている時に転んでしまったんです」
「部長。救急箱をお借りできますか?」
「俺がやってやろう」
藤倉はロッカーから木箱を取り出すと、昊の傷口を確認する。
簡単に消毒をし、傷パッドを貼った。
「これでいいだろう」
「ぶちょー、ありがとう」
「部長。昊くん、転んでも泣かなかったんですよ!」
「ほう。それは、すごいな」
藤倉に褒められたことが嬉しいのか、昊はエヘヘと満面の笑みだ。
「そんな強い昊には、ほら。ご褒美だ」
藤倉は昊に大きな箱を渡した。
「榊の家に帰ったら、3人で食べるといい。昊の好きなクッキーだ」
「わぁーい!」
「よかったな、昊」
「うん。ありがとう!」
昊は大事そうにクッキーの箱を抱えた。
「二人とも明日は有給にしてある。余程のことがない限り呼び出すこともしないよう、一課にも科捜研にも通達しておいた」
「ありがとうございます」
「いや。昊を頼むぞ」
「はい」
「それと、榊」
「はい?」
藤倉はやや声を落とす。
「昊は何があったのかよくわかってはいないだろう。しかしわからないなりに、自分のことで両親が揉めていることには気づいているはずだ。元気そうに見えても注意してやれ。そういうのは、やはり女性の方が気づきやすいからな」
「わかりました」
マリコはしっかりと頷いた。
「ねえ、昊くん。科捜研に寄っていく?所長に亜美ちゃん、宇佐見さんに呂太くんがいるわよ」
昊はすぐに皆のことを思い出したのか、『行くー!』と手を上げた。
「土門さん、少しならいいでしょう?」
「ああ。構わん」
「じゃ、行きましょう」
「うん!」
昊は左手を土門に。
右手をマリコに伸ばして、手を繋いだ。
たまたまその後ろ姿を目撃した署員は驚きに2度見してしまう。
そして今回もまた、噂は電光石火で広まったのだった。
「こんにちはー」
元気のいい声に、皆が一斉に振り返る。
「昊くん!いらっしゃい。元気してた?」
「あみちゃん!」
昊は駆け寄ると、ぎゅーと亜美に抱きついた
その様子に苦笑する刑事がひとり。
「蒲原、来ていたのか」
蒲原は誘拐捜査のために科捜研から借りていた機材を、ちょうど返しに来たところだった。
「はい。先ほど無事に撤収しました。後で報告書を出しておきます」
「すまんな。たのむ」
「はい。昊くん、元気になったみたいで良かったですね」
「ん?ああ」
二人の背後では昊が『しゃちょー、しゃちょー』と日野にまとわりついたり。
『うさぎさん♪』と宇佐見の周りを飛び跳ねたりして、ご機嫌だ。
すると。
「昊くん、何持ってるの?」
目ざとい呂太は、昊の持つ箱に注目した。
「ぶちょーにもらった、クッキーだよ」
「クッキー?✨」
呂太の目がキラキラと輝く。
「それは昊くんのでしょ!子どもにたからないの」
日野にピシャリと言われ、呂太はしゅんとうなだれる。
「クッキーはないけど、チョコレートはどうだい?」
イケメン化学担当は、常にスマートだ。
「宇佐見さん、すきっ!」
「ハハハ。昊くんも食べるかい?」
「うん!」
「では、用意しましょう」
こうして始まった即席ティータイムを全員が楽しんだ。
昊の保育園で流行っているゲームを皆でやってみたり、昊がおゆうぎ会で踊ったダンスを披露したりして、科捜研は笑いに包まれた。
しばらくすると、『名残り惜しいが、そろそろ…』と土門が腰を上げた。
「昊くん、また来てね」
昊は全員とハイタッチをすると、バイバイと手を振った。