お空のすべり台
マリコは美咲のマンションに到着すると、エントランスに設置された集合ポストに目を向けた。
すると、ちょうど彼女の部屋のポストに回覧板が差し込まれていることに気づいた。
マリコはそれを引き抜くと、そのままエレベーターに乗る。
美咲の部屋の前につくと、インターフォンを押した。
「山野辺さん。回覧板でーす!」
美咲はインターフォンにピクリと反応した。
今は誰とも会いたくない。
居留守を使おうとしたとき、外から聞こえる声に思わず立ち上がった。
「マリコ?」
すぐにインターフォンを確認する。
そこには回覧板を手にしたマリコが立っていた。
美咲はすぐに玄関へ向かった。
「マリコ!」
「山野辺さん、回覧板です」
マリコは美咲に騒がぬように目で伝える。
「は、はい。ありがとう…ございます」
「それと次の自治会の集会のことでお話があるんです。少しお時間ありますか?」
「ええ。あの、立ち話もなんですから、中へどうぞ」
「すみません。お邪魔します」
マリコがドアをくぐると、扉はパタンと閉じた。
「マリコ!来てくれたのね。ありがとう!昊は大丈夫かしら?昊に何かあったらどうしよう…」
美咲はマリコの腕にすがりつく。
「美咲。私も昊くんのことがとても心配よ。一刻も早く助けたい。だからこそ、今は冷静になって。どうすればいいのか、一緒に考えましょう」
そう言うと、マリコはそっと友人を抱きしめた。
「大丈夫。私はずっとここにいるから」
「マリコ………」
藤倉の指示により、特殊犯捜査係数名と土門、蒲原を加えたチームは、急ぎ山野辺家へと向かった。
犯人がどこかで監視しているとも限らない。
該当宅へ上がり込む際に変装するのは誘拐事案では定石だ。
今回、土門らは電気ケーブルの定期点検として山野辺家のあるマンションに潜り込んだ。
「山野辺美咲さんですね?京都府警の土門です」
「土門さん?……て、え?え?」
美咲は思わずマリコを振り返った。
マリコに昊を預けたとき、二人の生活をサポートしてくれた男性がいた。
その男性に昊はとても懐いていた。
だから美咲は、その男性がマリコの恋人ではないかと勘づき、問いただしたことがある。
その時と同じように、マリコは僅かに頬を染めて頷いた。
「あなたが土門さんですか…。その節は昊が大変お世話になりました」
「いえ。しかしまさかこんな形でお会いすることになろうとは…心中お察しします」
「ありがとうございます。マリコにも話しましたが、私にできることなら何でもします。どうか力を貸してください。昊を助け出してください。お願いします!」
美咲は深々と頭が膝頭につくほどに体を折る。
「顔を上げてください。自分も同じ気持ちです。昊は絶対に助けます」
土門はそう言い切ると、ふっと表情を緩めた。
「親子だから当たり前ですが、昊はあなたによく似ていますね。一緒にいたときも少々甘えん坊ではあったが、何にでも一生懸命ないい子でしたよ」
「ありが……………」
泣き崩れそうになる美咲を支えたのはマリコだ。
「美咲。土門さんなら必ず昊くんを助けてくれるわ」
「うん。うん」
「今は少し休みましょう?あなた、気づいていないみたいだけど、熱があるわよ」
「え?」
「精神的なものね。何か動きがあったら必ず知らせるから、少し眠ったほうがいいわ」
「こんな時に眠れないわよ…」
美咲は頭を振る。
「気持ちは分かりますが、いざというときにあなたが動けなくては元も子もない。今は榊の言葉に従ってください」
土門の言葉にはっとしたのか、美咲はようやく頷いた。
マリコが付き添い、二人は寝室へと消えた。
その間に、捜査員たちは黙々と準備を進める。
何台ものPCを繋げ、美咲のスマホにも解析ソフトをインストールした。
蒲原は藤倉との連絡役として、ホットラインを確認している。
土門は改めてこの事件を整理していた。
昊を誘拐してすぐに美咲のスマホにメールが届いたということは、犯人はこの親子とは何かしら関係のある人物だろう。
少なくとも母親のメールアドレスを知っている。
「蒲原。部長に頼んで、山野辺さんの周辺で資金繰りに困っている人がいないか調べてもらってくれ」
「わかりました」
「それ、美咲は心当たりがないそうよ」
マリコが戻ってきたのだ。
「彼女は?」
「何とか眠ってくれたわ」
「そうか」
「ここについて、すぐに美咲に確認したの。犯人に心当たりはないか」
「それで?」
「彼女の知る範囲では、借金苦な人はいないし、昊くんを誘拐するほど恨まれている覚えもないそうよ。もっとも知らないところで恨みを買っている場合もあるでしょうけれど…考えたくはないわね」
「そうだな。お前は気が進まんだろうが、彼女について調べる必要がある」
「わかってるわ。大丈夫。すべては昊くんのためだもの」
「昊…、どこにいるんだ……」
土門の脳裏に過去の日々が蘇る。
ほんの数日のことだったが、昊の笑い顔や、拗ねた顔、寝顔、そのどれもが土門には宝物の思い出だ。
「そういえば、昊には喘息があったたよな?」
一度、昊が夜中に発作を起こし、早月のもとへ駆け込んだことがあったのだ。
「美咲もそれを心配していたわ。吸引の薬をバッグに入れているらしいけれど、何日も持つ量じゃないらしいわ」
土門は険しい顔をした。
「とにかく一刻も早く見つけ出すぞ!」
「もちろんよ!」
二人はうなずきあった。