お空のすべり台
翌日の午後。
美咲は千葉とともにマリコの家へやって来た。
「マリコ、昨日はありがとう。昊、大丈夫だった?」
「ええ。いい子にしていたわよ。とにかく上がって。千葉さんもどうぞ」
「お邪魔します」
リビングでは、昊が土門とミニカーで遊んでいた。
「ママ!パパ!」
二人に気づくと、昊はパッと立ち上がり走り出す。
「昊、お迎えが遅くなってごめんね」
「ううん。どーもさんと遊んでたから大丈夫」
「土門さん。今回も昊が大変お世話になりました」
美咲の言葉に続いて、千葉も頭を下げる。
「いや。それより、話はできましたか?」
「はい」
「それじゃあ、聞かせてくれる?」
ちょうどお茶を運んできたマリコの一言で、大人はテーブルを囲んで腰を落ち着けた。
「結論から言うと、昊の親権は今まで通り私が持つことになりました」
「「………………」」
マリコも土門も黙って聞いている。
「これまで千葉さんとの約束を反故してきた件は謝罪させてもらいました。そのうえで、今後、昊が小学校に入学するまでは週の2日を千葉さんの家に、5日を私と過ごすことを決めました。もちろんそれ以外にも、緊急の場合には千葉さんに協力してもらうこともお願いしました」
「なるほど。千葉さんは、それでいいんですか?」
「はい。別れたとはいえ、昊は俺と美咲の息子です。お互いに協力しあうことが当たり前だとようやく気づきました。お恥かしい限りです」
「そうですか」
「私が意地を張っていたことが悪いんです…」
「美咲?」
「昊を千葉さんに会わせたら、いつか昊は私より千葉さんを選んでしまうかもしれない。あの子を獲られたら、私にはもう何もない…そんな風に考えたら怖くて。千葉さんには私の我儘で、本当に申し訳ないことをしました」
「君だけのせいじゃないよ」
千葉は、元妻にうなずいてみせる。
その姿を見て、マリコは安心した。
この二人はもう大丈夫。
夫婦という形には戻れないけれど、昊の存在がきちんと二人を繋いでくれるだろう。
「美咲、よかった」
「マリコ…。本当に色々とごめんなさい」
「謝らないで。私たち友だちじゃない!」
「ねえ、そこ。“親友”に格上げしてもいいかな?」
「美咲……………もちろんよっ!」
二人は手を繋いで、微笑み合う。
感極まり、お互いにパチパチと瞬きしている様子に、男たちは気づかない振りをした。
「昊、帰るわよー」
はーい、と答えると、昊は片付けを始めた。
「昊くん、すごくお兄さんになったわね。本も全部読めて…驚いたわ」
「それね…。実は昊が居なくなったって聞いたとき、私、マリコのところに行ったと思ったの」
「え?」
「家はわからなくても、京都府警なら何とかたどり着けるかもしれないでしょ」
「でも、なぜ?」
「その本よ」
「どういうこと?」
「昊はその本が読めるようになったことを、あなた達に知らせたがっていたの。でも私ずっと忙しくて、それができなかったから、とうとう昊は自分で…なんて考えてしまったのよ」
「そうだったの。ね、美咲。そういう時こそ、オンラインよ!」
「あ!その手があったわね」
「そうよ。今度から連絡してね」
「分かった。ありがとね」
「どういたしまして」
「ママー!」
自分でリュックを背負うと、昊は美咲に抱きつく。
「昊、忘れ物はない?」
「大丈夫!」
「今日はパパの車で帰るわよ」
「ほんとう!?」
「公園で遊んでいこう、昊」
「うん!!!」
昊は満面の笑みだ。
「マーちゃん、どーもさん、またね!」
別れ際、昊はもう以前のように泣くことはなかった。
「またね、昊くん」
「昊、またな」
二人も今日は笑顔で。
新しい形の家族を見送った。
一気に人の減った部屋は、思った以上に静かだ。
「話がまとまってよかったな」
「ええ。まだまだ色々あるでしょうけれど、今日の二人なら大丈夫そうね」
「俺もそう思う。昊も安心した顔をしていたからな。あの子なりに何か感じたんだろう」
「…不思議ね」
「ん?」
「親子って。雰囲気だけで伝わるものがあるのね、きっと」
「それだけ濃く繋がっているんだろう。何たって自分たちの体の一部から生まれるんだからな」
「奇跡、ね」
厳かにマリコはつぶやく。
「奇跡…か」
「私も手に入れることができるかしら…奇跡」
「お前が気づかないだけで、案外近くにあるかもしれんぞ?」
土門はマリコを抱き寄せる。
「だが、本当にいいのか?奇跡を得るには多少なりとも犠牲がつきものだ」
それは仕事を休むことや、体の変化のことを言っているのだろう。
「そんなの、全然犠牲なんかじゃないわ。だって新しい発見の毎日が待っているのよ。ワクワクするわ」
「お前ってやつは…」
前向きで好奇心に溢れたマリコの瞳は、眩しいほどだ。
「なあ、榊。もし、もしだぞ。順番が逆になっても…監察官は許してくれると思うか?」
「どうかしらね。でも母さんなら許してくれるから、きっと大丈夫よ」
「それもそうか」
確かに榊家のパワーバランスを考えれば、マリコの考えは正しそうだ。
「しかしな、やはり職業柄…」
尚も悩む土門を、マリコはその場に押し倒した。
「おいっ!」
「土門さん、思い立ったが吉日って言うでしょ?」
マリコは土門にのしかかる。
下から見上げれば、滑り落ちた髪の間には2つの顔。
母性のそれと、妖艶なそれ。
どちらも自分のものにしたい。
土門はマリコの腰を抱いた。
「押し倒すのは俺の
あっという間にマリコの体は反転し、土門の下敷きにされる。
「榊。男と女、どっちがいい?」
「私たちのところに来てくれるならどっちでもいいわ。土門さんは?」
「俺もだ。神様の御心のままに…」
そのまま、マリコに口づけようとした土門の顔がピタリと止まる。
「土門さん?」
「その前に、大事なことを伝えないとな」
「なに?」
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白い雲の上。
青いお空の先には、お母さんのお腹へと続く長い長いすべり台がありました。
すべり台の前では、たくさんの子どもたちが順番を待っています。
ようやく自分の番がくると、すべり台に座り、その子は耳を澄まします。
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「愛してる。未来のお母さん」
大きな手に優しく頬を包まれて、泣きそうになるのを堪えるために、マリコはきゅっと唇に力を込めた。
そして自分も手を伸ばすと、大好きなその人の首に絡めて抱き寄せ、囁く。
「私もよ。未来のお父さん…」
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「きーめた!」
えいっ!という掛け声とともに、小さな体は滑り出しました。
未来のお父さんとお母さんに会うために。
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fin.
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