京都浴衣振興会応援プロジェクト2022 with 京都府警
「おっ!藤倉くん。去年とは違う浴衣じゃないの?」
そう佐伯に指摘され、藤倉は咳払いをしてごまかした。
「本部長こそ、随分と手の込んだ浴衣ですね」
「分かるかね?浴衣振興会の会長に今年イチオシの浴衣を選んで貰ったんだよ。ね、どうだい。二人でコンテストにエントリーしないかい?」
「自分はコンテストには興味がないので」
「そうなの?じゃあ、榊くんでも誘おうかな」
「榊、ですか…」
藤倉は今朝方、渡り廊下を歩くマリコを目撃していた。
髪を纏めた浴衣姿のマリコは昨年同様ひと目を惹く美しさだった。
ただ、コンテストに備え新しい浴衣を用意する署員が多い中、マリコは今年も同じ浴衣を身に着けていた。
「待てよ。榊くんは土門とコンテストにでるのかな?」
「あ、いえ。土門は……」
藤倉は煮え切らない返事をした。
----- 土門は……。
その続きは、実際に土門を見れば分かる。
「土門さん、報告書なら俺が作りますよ」
「すまんな、蒲原。こんな手じゃなけりゃ、自分でやるんだが…」
「気にしないでください」
濃い絣の浴衣を着た蒲原は、カタカタとリズミカルにキーボードを叩いていく。
その様子を見守る土門の首には白い包帯の結び目があった。
そしてその包帯は左腕を吊るように巻かれていた。
一週間ほど前、窃盗犯ともみ合いの末、土門は左腕を骨折していた。
この状態では浴衣どころか、日常生活さえままならない。
だから土門は今日もスーツだった。
「蒲原。その浴衣、新しくしたのか?」
「あ、はい。選んでくれたので…」
「ほう。涌田か?」
「あ、はぁ…」
ガシガシと照れたように後頭部を掻く後輩の姿は微笑ましい。
「二人でコンテストに出るのか?」
「涌田さんからは誘われているんですが、自分はどうもそういう派手な場面は苦手で」
このイケメンは、意外に消極的らしい。
「だが、橋口や宇佐見さんと出られてもいいのか?」
「橋口…はともかく。宇佐見さんかぁ…」
呂太には申し訳ないが、確かに宇佐見は強敵だ。
「あ、でも。マリコさんはどうなんですか?宇佐見さんなら涌田さんより、マリコさんとのほうがお似合い………」
途中まで言いかけて、蒲原は口をつぐんだ。
土門の表情がみるみる険しくなっていったからだ。
失言を悟った蒲原は、そこからはひたすら報告書を打つことに集中した。
土門自身も、今朝からマリコのことが気になっていた。
まだ本人と会ってはいないが、噂はすてに耳に届いている。
『浴衣姿が美人すぎる科捜研研究員』
それが誰を指すのか…考えるまでもないだろう。
亜美なら“美人”というより、“かわいい”部類に入るだろう。
マリコは今年も『浴衣の日』があると知り、驚いていたようだ。
当日まであまり時間もないので、去年と同じ浴衣を着ると言っていた。
土門が「コンテストはどうするのか」とたずねると、「そんな暇、あると思うの?」と殺気立った顔で睨まれた。
土門は肩をすくめながらも、それならそれで安心だとほっと胸を撫で下ろしたのだった。
しかし、たとえ去年と同じ浴衣だとしても、マリコの浴衣姿などそうそう拝めるものではない。
他の男たちが目にしていて、自分が見れずにいるなんて実に面白くない。
土門は早く仕事を一段落させ、屋上へ上がりたくてうずうずしていた。
「土門さん、報告書出来ました。これ、藤倉部長に提出しておけばいいですか?」
「ああ。頼めるか?」
「了解です」
「すまんな。俺はちょっと…ヤボ用だ」
何となく見透かされているようで気恥ずかしいが、すでに土門の足はずんずんと上階を目指していた。
エレベーターの中で、マリコへラインを送る。
『屋上にいる』
きっとこれだけでマリコには意図が伝わるはずだ。
冷静を装いつつも、弾む気持ちを抑えきれず、土門はエレベーターを降りた。
京都の夏は猛暑だが、屋上は日陰を選べば案外涼しい。
常に風が通り抜けているからだろう。
しばらくその風に当たっていると、ギィと入口のドアが音をたてた。
振り返ると少し歩きにくそうなマリコがいた。
緩く纏めた髪から落ちたおくれ毛がさらさらと靡く。
大きなあじさいが印象的な浴衣は、今年もマリコを美しく際立たせていた。
「よお」
「今日は風が強いわね」
マリコは浴衣の袂をパタパタとそよがせ、捲れそうな裾を注意深く押さえている。
さらに視線を落とせば、白い素足に下駄の赤い鼻緒が眩しかった。
「戻るか?」
「大丈夫よ。少し息抜きしたいの」
「そんなに忙しいのか?」
「昨夜だけで轢き逃げ事故が3件よ。鑑定依頼がひっきりなしで休む暇もないわ」
「飯は?」
「まだよ」
マリコはため息とともに首を振る。
「後で何か届けてやる。他のみんなもか?」
「ええ。呂太くんはお菓子を食べてるけどね」
土門とマリコは顔を見合わせて笑った。
「やっぱり、いいな」
「え?」
「浴衣だ。お前にはよく似合うよ」
「そ、そう?」
「俺の腕がこんなじゃなけりゃ、コンテストに出たのにな。お前となら優勝を狙えたかもしれん」
「食事券目当てでしょう?」
「バレたか?」
ニヤリとする土門。
「もっとも佐伯本部長の用意する食事券なら…あの大手ハンバーガーチェーンくらいだろうけどな」
「まぁ!」
「今頃、くしゃみしてるかもしれんぞ」
ハハハと重なる笑い声は空高く吸い込まれていった。
ちなみに、その頃。
「ふぇっくしょいっっ!」
「佐伯本部長、お風邪ですか?」
郵便物を運んできた女性署員が気遣う。
「ん?きっと誰かが噂でもしているんだよ。私の浴衣が似合うとね。ウハハハ」
「……………」
呆れる女性署員に気づきもせず。
どこまでも前向きな佐伯本部長なのであった。