偽り2



残念ながら、医務室は無人だった。

『ただ今席を外しています』というプレートがかけられ、緊急時の電話番号が書かれていた。

「とりあえず応急処置だけでもさせてもらおう」

二人は部屋の中に入ると、消毒液やガーゼ、包帯を見つけ出した。



「わかっていると思うが、しみるぞ」

「んっ…………」

消毒液をつけると、マリコは顔を歪めた。

「………すまない」

「大丈夫よ、これくらい」

「そうじゃない。今回のこと、お前を巻き込んじまった」

土門は話しながら、テキパキと処置を進める。
さすがは百戦錬磨の刑事。
手慣れたものだ。

「お前を傷つけないためにここへ呼んだのに、それが逆効果になっちまうなんてな…」

「どういうことなの?」

「……………」

「すまないことをしたと言うなら、私には聞く権利があると思うけど?」

確かにそうだ。
マリコはいつも正しい。
その正しさは眩しいくらいにまっすぐ土門を射抜くのだ。

「はじめは、偽装結婚式を挙げることで麻田美羽のストーカーをあぶり出す予定だった。だが、ストーカーは俺と彼女の関係が嘘ではないかと疑って、俺の女性関係を探るかもしれない…そう彼女から指摘された。だから俺と関わりのある女性をあえて式に呼ぶことで、その女性とは深い関係にないことを印象付けようとしだんだ。しかし、犯人が麻田美羽本人となれば話は別だ。俺は彼女の計画にまんまとハマり、自分と関係のある女をバラしちまったんだ」

「それが、私?」

「そういうことになるな」

「私、土門さんと“関係”があったんだ」

「仕事仲間だろう?」

「ふぅん」

「何だよ?」

「私は土門さんから結婚式の招待状が届いたとき、すごくショックだった。毎日顔を合わせているのに、付き合っている人がいたことも、結婚の予定があったことも教えてもらえないんだなぁって。その程度の“関係”なんだな、って」

「それを言うなら、俺も同じだ。お前と藤倉部長の“関係”はまったく知らなかった」

「私と部長?何を言ってるの?」

「とぼける気か?」

「とぼけてなんていない。本当に何の事か…」

「…………鍵」

「鍵?」

「渡していただろう、朝。部長に」

「………………」

何の話だろうと考え、マリコは「あっ!」と声を上げた。

「やっぱり覚えがあるんだな」

「あの鍵は刑事部長室の鍵よ。部長室に呼ばれたとき、私より先に部長が帰ることになったから、鍵を閉めて帰るようにって預かったのよ!」

なぜ部長室に残ることになったのか…それは、マリコは土門には言わなかった。
言う必要もない。


「何だ…」

「もしかして、私が部長の部屋に泊まったと思ったの?」

「知るか!ふんっ」

「何よ。私と部長の“関係”を疑ったんでしょう?」

「あんな光景を見れば、誰だって疑うだろう」

「それでさっき部長にあんな態度を取ったのね。ね、それって」

「それ以上言うなら、そのふざけた口を塞ぐぞ!」

「どうやって?」

「ん?」

「どうやって塞ぐの?やってみて」

キラリとマリコの瞳が煌めく。

「………」

「塞ぐ気がないなら、続けるわよ。土門さんは部長に嫉妬……………!!!」


唇が離れると、はぁっ…とどちらのものともわからぬ吐息が漏れる。

「これでいいのか?」

「土門さんこそいいの?ちゃんと塞がないなら、まだ続けるわよ」

挑戦的な口調とは裏腹に、マリコは泣きそうだ。

「何て顔してやがる。お前が望むなら、何度だって塞いでやるさ。こうしてな」

手を伸ばしマリコの項を支えた土門は、そのまま腕を引き戻した。
そして思うさま、その唇を貪る。
重なるだけのそれが、やがて舌を絡め取られて、マリコは抜けたような声をもらした。

「お前もそんな色っぽい声を出すんだな」

「やっ。そんな、しら…ない」


やがて開放されたマリコの唇はぽってりと赤く腫れ、息も絶え絶えになっていた。

「俺にヤキモチを焼かせるとこういう目に遭うぞ。覚えておけ」

「だったらずっと土門さんには嫉妬させるわ」

マリコは腕を伸ばすと、土門の首に巻きつけた。

「私だけ見ていて。土門さん。他の誰も見ないで…」

「もうずっと、お前以外の女なんて目に入らないさ。恋は盲目、とはよく言ったもんだな」

土門は苦笑する。

「俺にはお前しか見えない、榊」

二人は見つめ合うと、もう一度だけ口づけを交わす。

“あなた”だけを見ている、という誓いを込めて。


「さあ、これでよし!」

マリコの腕にはきれいに包帯が巻かれていた。

「そろそろ戻らないと、みんなが心配するな」

「ええ」

白いタキシードと黒いドレスは並んで歩き出す。

「明日からは残務処理でお互い忙しくなるな」

「そうね」

「だから、今夜は俺のうちに来い」

「え?」

「お前とゆっくりできるのは今夜だけだろう?けが人に手を出すほどガキじゃない。安心しろ」

下手なウィンクにマリコは吹き出した。

果たしてそれが真実かどうか。
それは明日のマリコにしか分からない。




余談だが…。
翌日気だるげに出勤してきたマリコの項を見て。

土門のやつ、榊は怪我人だぞ…と、藤倉は盛大に眉を潜めた。
関係は認めつつも“そういうこと”は認められない。
藤倉の心中は非常に複雑なのであった。



fin.


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