偽り2



いよいよ、結婚式の当日がやってきた。

招待客たちは皆、時間まで思い思いに寛いでいる。
マリコは日野と藤倉の近くに座り、物思いに耽っていた。
日野と藤倉はマリコの様子を心配しつつも、今は見守るしかない。

そんなマリコを式場スタッフが呼びにやってきた。

「ご列席予定の榊様でしょうか?」

「はい」

「新郎様がお式のことでご相談があるそうです。お越し願えますか?」

「え?私、ですか?」

「はい。是非にとのことです。よろしいでしょうか」

正直、マリコは気が進まない。
しかし忙しいスタッフを待たせることも、断ることも申し訳ない。
渋々マリコは立ち上がった。


「こちらです」

スタッフの案内に従い、マリコは新郎の控室をノックする。

どうぞ、という返事に、マリコはドアを開けた。

「よお!入ってくれ」

椅子に腰掛け足を組んだ土門は、真っ白なタキシード姿だった。
普段見ることのない正装は、土門によく似合っていた。
マリコが思わずその場に立ち尽くしてしまうほどに。


「榊?」

「あ、いえ…。あの、本日はおめでとうございます」

「“そんなことより”、似合ってるか?」

土門はマリコのお株を奪うと、立ち上がり回ってみせた。

「似合ってる……と思うけど」

「何だよ、その言い方。お前は似合っているな」

「え?」

今日のマリコは黒いワンピースに、バイオレットのシフォンショールをふんわりと肩に羽織っていた。

「よく似合っている」

もう一度土門は念を押した。

「あ、ありがとう。でも褒める相手を間違ってるわよ」

マリコは苦笑した。

「いや、間違ってない。榊、俺はずっとお前に話したいことがあった。だが、お前は俺を避けていただろう。だからとうとう式の当日になっちまった」

マリコは首を傾げる。
何やら雲行きが怪しいことを、このときマリコはようやく気づいたのだ。

「どういうこと…?」

「実はな…………」

土門は先日、日野に話したことをマリコにも伝えた。

この結婚式が偽装であること。
その発端は麻田美羽のストーカー事件であること。

「それじゃあ。土門さんは結婚しない…の?」

「ああ。そうだ」

「そう………」

拍子抜けしたようなマリコ。

「安心したか?」

「そう。そう、なんだ。結婚しないんだ…なーんだ」

何が可笑しいのか、マリコはクスクスと笑いが止まらない。

「おい、笑いすぎだ!……………榊?」

笑う口元を隠しているのだと思っていたその手は、実は嗚咽をこらえていたのだと土門は気づいた。

「馬鹿野郎!」

土門が力任せにマリコの腕を引くと、痩せた体は抵抗することなく、土門の胸の中に収まる。

「俺が側にいるのに、一人で泣くな!」

抱きしめれば、重なり合う2つの心音。


「榊、俺は…」

土門がそう言いかけたとき、控室のドアが乱暴に開いた。

二人が顔を向けると、そこに立っていたのは新婦だった。
レースがふんだんにあしらわれた純白のドレス。
しかしその顔は、まるで鬼の形相だった。

「やっぱり!やっぱり、やっぱりぃぃ!!」

美羽はマリコ目がけて向かってくる。
その手には光るナイフが握られていた。

「さかきっ!」

土門はとっさにマリコを突き飛ばした。

目標を見失った切っ先は空を切る。
しかし血走った眼の花嫁はすぐに獲物を捕らえ、再び襲いかかる。

ヒュッ、ヒュッと滅茶苦茶に振り回されるナイフとマリコの間に土門が割って入る。

「よせっ!」

「邪魔しないで!」

美羽はマリコを睨みつけた。

「あんたがいるから、いつまでたっても薫さんは私のものにならないのよっ!!」

「止めないか!」

「どいて、薫さん!なんでこんな女を庇うの?あなたは私と結婚するのよ!」

ナイフを振り回す女の手は止まらない。
ついにそのナイフが、マリコの腕を掠った。

「痛っ!」

ピリリとした痛みの後で、白い二の腕に赤いラインが走った。

「榊っ!!!」

ウオォォという怒号とともに、土門は美羽に突進し、彼女を突き飛ばした。
床に叩きつけられた美羽の手からナイフが転がる。
そこを見逃さず、すかさず土門はナイフを部屋の端まで蹴り飛ばした。
そして素早く美羽の両手を掴むと、片手で自身のベルトを引き抜き、背中で縛り上げた。

「痛い!薫さん、解いて」

「駄目だ!」

「薫さん…。どうして?私は、あなたの妻です」

もはや、美羽の思考は支離滅裂になりつつあった。

「あんたは俺の妻じゃない。犯罪者だ」

土門はピシャリと言い切る。

「麻田美羽、銃刀法違反ならびに殺人未遂で緊急逮捕する!」

「薫さんは、私のものよ。私のものよ……」

美羽は壊れたレコーダーのようにうわ言を繰り返した。

「まさかあんた自身がストーカーだったとはな…」

土門は疲れ切ったように目を閉じ、ため息を吐いた。




「土門さん…」

「榊、怪我は大丈夫か?」

「ええ。でも利き腕だから自分では止血できないの。しばってもらえる?」

「ああ」

土門は胸ポケットからチーフを取り出すと、マリコの腕を止血した。
白いハンカチはすぐに赤く染まっていく。

「痛むよな…」

「かすり傷よ」

「怖かったよな……」

「大丈夫よ」

青白い顔をしているくせに、マリコは弱音を吐こうとはしない。

「こんなときまで、お前は強いな。俺は必要ない…か」

自嘲する土門。

「全然強くなんてないわよ。今だって土門さんが守ってくれなかったらどうなっていたか…。ほら」

差し出されたマリコの手は、カタカタと小刻みに震えていた。

土門はそっとマリコの手を握る。
しばらくそうしていると、震えは止まった。

もっとこうしていたいが、そうもいかない。
二人とも今すべきことは何か、十分にわかっていた。




「麻田さん。自分に相談してきたストーカーというのは嘘ですね?」

「……………」

美羽は答えない。

「美貴のこともですか?」

「………違うわ。美貴とは本当に高校の頃から仲良くしてもらっていました」

美羽は土門を見た。

「私は美貴が羨ましかった。美貴は会うたび、楽しそうにお兄ちゃんの話をしてくれた」

「美貴が?」

「ええ。非番の日は一日パジャマで過ごすようなだらしないお兄ちゃんだけど、すごく優秀な刑事なんだって」

「………それは、褒められてるのか?」

土門はやや複雑だ。

「私にはそんな兄はいない。私にいるのは誰かを守るどころか、妹に襲いかかるような鬼畜な男だけよ!」

「麻田さん。君は天涯孤独じゃなかったのか?」

「天涯孤独と同じよ!あんな男…兄じゃない!私はずっとあいつから性暴力を受けてきた。でもあいつはそんなことすっかり忘れて、自分はさっさと結婚して幸せな家庭を築いてる。私だけが、いつまでも傷を引きずって…」

美和はしゃくりあげた。

「私にだって幸せになる権利はあるわ!」

「もちろんよ」

そう言ったのはマリコだ。

「でも方法を間違ってはいけないわ。こんなことをして手に入れた幸せは長く続くかしら?」

「そんなこと!」

「お兄さんはどう?本当に幸せな家庭を築けている?」

美和ははっとした。

兄夫婦には一人娘がいるが、彼女には知的障害があった。
事あるごとに、夫婦は娘のことで喧嘩が絶えない。

「周りの皆を幸せにできる人が、自分も幸せにできる人だわ。だって、そういう人の周りには笑顔が溢れているもの」

美和は涙を流し、うなだれる。
土門は美和を立ち上がらせると、裾についた汚れをはたいた。

「君は美貴の友人だ。あいつのためにも、こんな裾の汚れたドレスなんかじゃなく、いつか真っ白な、綺麗なままのウエディングドレスを着てほしい」

「薫さん…」

美和は、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝り続けた。




騒ぎを聞きつけて、藤倉を先頭に列席予定の刑事たちが現れた。
土門は騒ぎ立てないように彼らを牽制すると、藤倉に事情を説明した。

「わかった。すぐに女性捜査員を招集する。彼女の着替えが終わったら署へ連行しよう」

「お願いします」

「うむ。ところで榊、怪我の具合はどうなんだ?」

「大丈夫です」

「しかし、ハンカチに血が滲み出している。まだ血が止まっていないんだろう。すぐに医務室へ……」

「部長。こいつの面倒は自分がみます」

土門はマリコを横からかっさらうと、トンッとマリコの背中を押し、医務室へ向かう。

マリコの背後にピタリと寄り添い、何人たりとも彼女に触れることを許さない…そんなオーラーをビンビンに張り巡らせる。

藤倉はクックックッと笑いをこらえきれない。

藤倉にしてみれば、マリコが幸せならそれでいいのだ。
笑顔ならば。

ただ唯一惜しむらくは…。
マリコのその笑顔を引き出せるのが土門であり、一番近くで見られるのも土門だということだ。

「その権利は高くつくぞ、土門」

不敵な笑みの刑事部長。
知らず土門は身震いした。

「いやね、風邪?大丈夫?」

「ああ。どこも悪くない。変だな?」

土門はただ首を傾げるばかりだった。


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