偽り2



土門が京都府警に戻ってきたのは、それから7日後だった。

「薫さん!」

土門が京都府警に復帰したその日、麻田美羽が土門の帰りを待ち構えていた。
エレベーターから土門の姿が現れると、泣きそうな顔で土門に駆け寄り、その腕に飛びついた。

「お疲れさん。土門、式の準備頑張れよ」

「結婚前から泣かすなよ」

同僚たちはニヤニヤとからかいながら土門の脇を通り過ぎていく。

「出よう」

土門は美羽の背中を押し、出口へ向かう。

するとちょうど赤いブルゾンの二人組がこちらに向かってくるのが見えた。
それは宇佐見とマリコだった。
いままで現場検証に出ていたのだろう。

「土門さん、お疲れさまです」

宇佐見はちらっと美羽に目を向けるが、余計なことは言わない。

「榊…」

土門は久しぶりにマリコを間近で見て驚いた。
確かにスレンダーな体型だったが、今はさらに一回り小さくなったようだ。
赤いジャケットを着ているというより、着られているようだ。
頬も明らかにやつれていた。

「お疲れさま。それじゃあ」

足早に過ぎようとするマリコの手首を土門は掴んだ。
そしてその細さに眉を潜める。

「離して。痛いわ」

「お前に話がある。明日時間を作ってくれ」

「あいにくだけど、この鑑定があるの」

マリコはアタッシュケースを持ち上げてみせた。

「私が代わりにやりますよ!」

救いの手を差し伸べてくれた宇佐見に、しかしマリコは首を振った。

「宇佐見さんの鑑定分だってすごい量ですよね。お母様の介護で残業はできないんだし、無理しないで」

マリコはようやく土門を見た。

「そういうわけだから、明日は無理ね。じゃあ」

スルリと土門の手からマリコはすり抜けていく。
土門はその様子をスローモーションのように眺めていた。

離れていく。
この手から。

割れてしまう。
2つに。

そして壊れたものは、二度ともとには戻らない…。

土門は瞑目した。

だが今、自分に縋る手を離すことは。
見捨てることはできない。
なぜなら、自分は刑事なのだ。

土門はマリコを追わなかった。




『追っても来てくれない…』

マリコは背後から聞き慣れた足音が聞こえないことに気づいていた。
そして宇佐見に続いてエレベーターに乗り込んだ。

左右から閉まる扉。
隙間がピタリと閉じた瞬間、マリコは詰めていた息を吐き出した。
そして、心の中で何かが砕け散るのを感じた。
でもその痛みに気づかないふりができてしまうほどには、マリコも大人になってしまっていた。




「……さん、薫さん」

「はい?」

ぼんやりとしていた土門は美羽に呼ばれ、現実に舞い戻る。

「お口に合いませんか?」

「いや。どれも旨いです」

食卓には彩り豊かで、手の込んだ料理が並んでいた。
こんな料理、マリコには逆立ちしたってできないだろう。
そんな失礼なことを考えしまった土門だが、なぜマリコと比較してしまうのか…。

美羽の料理は確かに旨い。
しかしそれはスーパーやデパ地下の惣菜が旨いのと同じなのだ。

焦げたうえに、砂糖と塩の量を間違えた卵焼きだったとしても。
それがマリコの作ったものならば、土門にとって喜びと思い出に繋がる。

「麻田さん。こんな風に気を使ってもらうことはない。自分がここにいるのは護衛の為なのだから」

「でも。一人で食べても味気ないですし…」

「気持ちは有り難いが、自分のことは自分でしますよ。ところで、最近ヤツの動きはどうですか?」

「写真が送りつけられることはなくなりましたけど、無言電話は…」

確かに電話機には着信のランプが点滅していた。
やはり長期戦になりそうだ。

「ごちそうさまです」

土門は箸を置くと、窓際に移動させた椅子に腰掛け新聞を読みはじめた。

「薫さん」

「はい」

「帰りにお話されていた女性の方ですけど」

土門は紙面から顔を上げた。

「ああ。榊ですか?」

「結婚式の招待客の中にお名前がありましたよね?」

「ええ」

「刑事さんなんですか?」

「いえ。アイツは科捜研の人間ですよ」

「刑事さんではないのに、お式に招待したんですか?」

「捜査一課にも女性の刑事はいますが、自分たちは班単位で動くことがほとんどなんです。だから違う班の女性刑事とはあまり接点がありません。その点、科捜研は一度事件が起きれば、必ず我々との絡みが出てくる。だから榊を式に招待したんですよ」

「そう…ですか。お綺麗な方でしたね」

「さあ…。毎日会っているとよく分からんもんです」

土門はいつになく饒舌だった。
美羽にはそれが何となく面白くない。
しかし、土門は再び新聞に視線を戻してしまった。
美羽は不服そうな、悲しそうな顔で、仕方なく皿を片付け始める。
土門はその様子に気づいていたが、知らないふりを通すと決めた。


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