偽り2
5月吉日。
府警内を巡る署内便に、土門からマリコ宛の封書が届いた。
「何かしら?」
『わざわざこんな風に送ってこなくても、さっき屋上で会ったときに渡してくれればいいのに…』とマリコは首を傾げた。
真っ白い封筒を開くと、中には二つ折りのカードと返信用葉書が入っていた。
カードを広げマリコは息を止めた。
《ご招待状》
その一文を見ただけで、マリコはカードを閉じてしまった。
「うそっ…!」
1分経ち、2分経ち…。
そろそろと、もう一度マリコはカードを開いた。
間違いない。
それは結婚式の招待状。
冒頭には急な日取り決定となったため、招待状の発送が遅くなったことを詫びる言葉が添えられていた。
確かに、式の当日までもう2ヶ月もない。
そして何度確認しても、新郎の欄に書かれているのは“土門薫”の三文字。
相手の女性…
マリコの中で、「どうして?」という感情が渦巻く。
どうして、付き合っている人がいることを黙っていたの?
どうして、結婚することを教えてくれなかったの?
どうして?
どうして?
ぐるぐる巡る「どうして?」の最終地点。
それは。
ーーーーー どうして、私じゃないの?
土門とマリコの関係性は、陽炎のようだ。
ある時は、言葉には出せぬ満たされない何かを心に秘め、相手へ熱い視線を送る。
またある時は、誰よりも信頼できる相手として、敬い、ただ純粋に隣に立ち続ける。
どちらも恐れから決定打を打てずにいるのだ。
もう何年も。
だから、マリコに土門を詰る資格はない。
土門は自由なのだ。
誰を伴侶に迎えようと、ただそれを祝福するしかない。
けれど、理性と感情は別だ。
それはマリコとて同じ。
いかに優秀な科学者だとしても。
その肩書を下ろせば、榊マリコはただの恋する女、なのだ。
「マ、マリコくん!」
慌てた様子でノックも忘れ、日野がマリコのラボに走り込んできた。
「こ、これ!」
どうやら日野も招待状を受け取ったらしい。
「所長にも届いたんですね」
「う、うん。科捜研では僕とマリコくんだけみたいだね」
日野はマリコが手にしている封筒を確認した。
「マリコくん…は、知っていたのかい?」
「……………いいえ」
「そう………」
それ以上の会話が続くはずもなく、日野は気まずそうに部屋を出ていった。
『どうしたもんかな…』
日野は届いた招待状を光に透かす。
そんなことをしたところで自分にわかるのは、せいぜい紙とインクの種類くらいだ。
そしてどちらも量産品だという結論しか出ないだろう。
日野は、土門とマリコの間には仕事仲間という枠を越えた関係性があるとずっと思っていた。
いい大人の二人だから、「将来をどう考えているのか…」なんてことに口を挟む気は毛頭ない。
でもまさか…。
二人が別々の道を歩むことになろうとは。
この招待状は、日野には青天の霹靂だった。
そして、ここにもう一人。
招待状を手に固まる男がいた。
「土門…。どういうことだ」
低く地を這うように響く独白は藤倉のものだ。
藤倉は刑事としての土門の能力を高く買い、同時に人間としても信頼している。
そしてそんな土門だからこそ、マリコを安心して預けているのだ。
危険を顧みず突き進むマリコは、藤倉の目に余る。
しかしよく言うではないか。
『手のかかる子ほど可愛い』と。
藤倉にとってマリコは、いつの間にか秘蔵っ子になっていたのだ。
土門がマリコ以外の相手を娶る。
勝手だとわかっていても、藤倉にはそれは土門の裏切りとしか思えなかった。
そんな多くの人間の思惑を知ってか知らずか。
当の本人は、婚約者の美羽とともにホテルのディナーを堪能中だった。
「美味しいですね、薫さん」
「ああ。このソースは上手いな」
「こういう味付けが好みですか?」
「そうだな。また食べたい味だ」
「それなら今度試しに作ってみましょうか?」
「できるのか!?」
「はい。食べれば大体の食材はわかりますから」
「ほう。すごいな。これから食事が楽しみだ」
「薫さんの好きなもの、色々作れるようにしますね」
「ん。期待している」
微笑みを交わし、二人は穏やかに談笑しながら食事を楽しむ。
やがてグラスワインの底が見えはじめた頃、土門は時計を確認した。
「もうこんな時間か。家まで送ろう」
ホテルを出た二人は並んで歩く。
土門のスーツの腕には、彼女の手が添えられていた。
「薫さん。今夜は…」
「君の部屋へ行ってもいいか?」
「……はい」
ピッタリと寄り添うシルエットは大通りを抜け、闇夜へと溶けていった。
最後の街灯の明かりに照らされた、はにかむその女性の顔は…やはりマリコのそれではなかった。
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