糸し糸しと言う心
間一髪。
土門は間に合った。
侑李の小さな体を抱き上げる。
そして、足元にいる馴染みの猫を見た。
「オパール。お前、何か知っているのか?」
しばし、交錯する視線。
オパールはふい、と目をそらすと背を向けた。
そして塀に飛び上がると、土門を振り返り一度だけ鳴いた。
それはおそらく伝言。
『今夜、Microscopeで待っている』
「土門さん、吹さんは?」
「大丈夫。意識を失っているだけだ」
「すぐに風丘先生に診てもらいましょう」
「う…ん…………」
土門の腕の中で、ゆっくり開いた瞳はきょとんとしていた。
「吹さん、大丈夫?」
「ちがう。私、侑李だよ。吹ちゃんは眠っちゃった」
たどたどしい口調は7歳のそれだ。
「君、俺たちが誰だか分かるかい?」
「吹ちゃんが、『刑事さん』って呼んでた」
「そうだ。気分はどうだ?どこか痛いところはあるかい?」
「ううん。大丈夫」
「土門さん、どうする?」
「風丘先生のところへ連れて行く程でもないだろう。家まで送っていこう。榊、お前も付いてきてくれ」
「わかったわ」
土門の車に乗り込んだ三人は侑李の自宅へと向かった。
その道すがら、マリコは侑李にいくつか質問をした。
「侑李さんは、吹さんとお話することある?」
「うん。侑李がお休みにするとき、吹ちゃんが起きるから、その時お話するよ」
「どんなことを話すの?」
「『今はお家にいるよ』とか『お外にいるよ』とか」
「ほかには?」
「えっと。『ママと一緒とか、一人だよ…』とか」
マリコは頷く。
吹は入れ替わる際に、そのときの侑李の状況を聞き出しているのだろう。
おかしな言動をして怪しまれることのないように。
吹は別人格だが、母親に対しては故意に己を隠そうとしてるようだ。
「もう一つ教えてくれる?」
「いいよ」
「侑李さんは、吹さんといつから一緒にいるの?」
「うーんとね。誕生日」
「誕生日?」
「うん」
「何歳のお誕生日かしら?」
「お人形のお家をもらったときだよ」
「そう。他に何か覚えてる?」
「…ママがハンバーグを作ってくれたよ」
「美味しそうね!」
「うん。侑李、ママのハンバーグ大好き!」
マリコはミラー越しに土門と目を合わせた。
「侑李さん、ケーキは食べた?」
「ケーキ?」
「そう。白いケーキだった?それともチョコレート色かしら?」
「白?チョコ…?」
「どっちかしら?イチゴは乗っていた?『お誕生日おめでとう!』の飾りはあったのかしら?」
「……………」
「侑李さん?」
「知らない!侑李はケーキなんて食べてない!!」
「どうして?お誕生日だったのよね?」
「『買ってくる』って言ったのに、嘘ついたんだもん」
「誰が『買ってくる』って言ったの?」
「パパよ!」
叫んだ侑李は、顔をくしゃりと歪めた。
「パパは、侑李の好きなイチゴの丸いケーキ…。買ってくるって言ったの。だから…ずっとずっと待ってたのに。パパは来なかった!」
「本当に来なかったの?侑李さんは、本当はパパに会ったんじゃないかしら?」
「会ってない!会ってない!」
侑李はブルブルと震えだした。
これ以上は無理だろうと判断し、マリコは侑李を落ち着かせるためにゆっくりと背をなでた。
ところが…。
「パパは自分で転んだんだもん。『痛い』って言わないもん」
「侑李さん?」
「パパが転ぶから、ケーキがグチャグチャになっちゃったんだもん。それなのに、ママはパパを怒らないの。侑李には怒るのに」
「そのとき、ママはどうしたの?」
「お花」
「お花?」
「うん。お花、集めてた」
そう片言のように話すと、侑李は黙り込んでしまった。
今の侑李の記憶は3年前。
事件の晩のものに違いない。
侑李の証言から断片的に事件の流れが見えてきた。
3年前の出来事が事故にしろ、事件にしろ、明らかにされていない事実があるように思えた。
もし。
もし、事故でないとするならば。
事件、つまり、殺人だ。
そうなると容疑者は二人。
侑李の母親と、侑李本人だ。
突発的な犯行であったなら殺意の有無はわからないが…。
ここからは少し事件を整理する必要があるだろう。
過去の捜査資料も改めて見直したほうがよさそうだ。
車内は沈黙に包まれた。
やがて車が鷺沼家に停車すると、マリコは侑李と手を繋ぎインターフォンを押した。
しかし、応答はない。
「侑李さん、ママは?」
「お仕事だよ」
「そう…。一人で寂しくない?」
「ヴァイスがいるから大丈夫」
「白猫ちゃんね。そういえば、ヴァイスはどうして目を怪我したの?」
「ヴァイス、は、ね……………」
「侑李さん?」
侑李の体がふらりと揺れ、一瞬マリコにもたれかかる。
しかし、次の瞬間。
そこにいたのは、侑李ではなかった。
「ヴァイスはね、侑李を守って怪我をしたのさ」
「吹さん!」
「二人とも上がって。母親が帰ってくる前に話すから」
土門とマリコは顔を見合わせると、吹の後に続いた。