糸し糸しと言う心
ファミレスに場所を移すと、土門は改めて吹に用向きをたずねた。
「大したことじゃないんだけどさ。どうして昨日、母親に侑李のしたことを話さなかったわけ?」
「鉢植えのことか?」
「そう」
「あれをやったのは侑李さんなんだろう?」
「そう言っただろ」
「そして、あの時母親に相対していたのは、君だろう?」
「そう、だけど。それが何?」
「だったら話す必要はない。君は何もしていないんだから」
「は?」
「同じ体にいようと、君たちは別の人格だ。注意するにしても、鉢植えを壊した本人に伝えなければ意味がない」
土門はさも当たり前のように説明すると、コーヒーを一口飲んだ。
吹の中で、さっきまでの開放感が“しゅっ”と萎んだ。
『吹』という人格を認めてもらえたことは嬉しい。
だけど……。
「アタシは…。アタシはさ、侑李の嫌がることを引き受けるから存在していられるんだ。あんたはアタシの存在意義を奪うつもり?」
気丈に振る舞っていても、吹は泣きそうだった。
肉体を持たない吹は、侑李が『要らない』と思えば消えてしまう
「君はそれでいいのか?」
「え?」
「侑李さんが辛いこと、嫌なこと。それなら、君にとっても辛くて嫌なことだろう?」
ーーーーー ピシッ!
侑李と吹の間に高く聳える鏡。
土門の一言が、その鏡に大きな亀裂を生んだ。
「そんなこと…」
「見つけた。ここにいたのね」
吹の頭上から声がした。
「よお、悪いな。鑑定中だったか?」
「結果待ちだったから、大丈夫よ」
現れたのはマリコだった。
「吹さん…よね?こんにちは」
「うん…」
「で?」
土門はマリコを促す。
「蒲原さんが調べてくれたわ」
そういうと、マリコは封筒から資料を取り出した。
「鷺沼さん。侑李さんのお父さんが亡くなったのは、今から3年前。その日はちょうど侑李さんの4歳の誕生日だった。夜9時3分、鷺沼家から110番に入電。通報者は鷺沼夫人」
「ちょ、ちょっと待って!あんた、何を調べて…」
慌てた様子の吹に目を向けながらも、マリコは話を続ける。
「一報を受け、鷺沼家に駆けつけた警官は、階段下で倒れた男性を発見。その場で死亡が確認されているわ。後に、家にいた夫人の証言と現場の状況から、鷺沼さんは階段から転落し、後頭部を強打しての急性硬膜下血腫による死亡と断定された」
マリコは数枚の写真を土門に見せた。
階段の上から撮影した写真には、床に広がる血痕と、崩れたケーキが写っていた。
吹はその写真を見て、ひどく青ざめる。
「……やめて」
「吹さん?」
「侑李が泣いてる。苦しんでる」
大きな感情の揺れにシンクロしたのか。
少女の瞳からは、ポタポタと涙が溢れ出した。
「これ以上、侑李を苦しめるな!そっとしておいて」
「吹さん…」
マリコはハンカチを取り出すと、そっと少女の頬を拭おうと手を伸ばした。
「余計なことするな!」
その手をパン!と弾くと、吹は逃げ出した。
「吹さん!」
「吹!待て!!」
マリコの呼びかけも、土門の静止も聞かず、吹は全力で走った。
もう二度と思い出したくない過去。
嫌だ。
苦しい。
怖い、恐い。
吹の耳に聞こえるのは煩いくらいの心臓の音だ。
息が苦しい。
足がもつれる。
「ニャァァァ」
ひらりと、そんな吹の行く手に一匹の猫が舞い降りた。
「お前!」
驚きに吹は足を止める。
すると七色に移り変わる光に囚われ、吹は動けなくなってしまった。
「な…に………」
すぅーと吹の体から力が抜けていく。
「吹!」
薄れゆく意識の中で、ふらりと傾いだ体を誰かが抱きとめてくれた。
大きくて、あったかい。
『だ、れ……?』