糸し糸しと言う心



翌日。
京都府警に小さな訪問客があった。


捜査一課に響き渡る内線に蒲原が飛びついた。

「はい、捜査一課。え?あ、はい。わかりました」

受話器を戻すと、蒲原は仲間の刑事たちと話し込む土門に声をかけた。

「土門さん、面会だそうです」

「俺に?」

「はい」

「わかった」

土門は相手に手を上げると、話を中断して受付に向かった。


「土門です。自分に面会というのは…」

「それが…。あちらです」

戸惑う署員が指し示す先には、幼い少女がいた。



「君は…」

土門はそこで口ごもる。

その少女の名前は鷺沼侑李という。
ただし、それは肉体の呼称にすぎない。
今の彼女の人格が誰なのか、土門は判別できずにいた。

「刑事さん、こんにちは」

お行儀よく、ペコリと頭を下げる少女。
しかし、下げた頭を持ち上げるほんの一瞬、その顔がニヤリと笑んだ。

吹、だ。
土門は確信した。

「こんにちは。今日は何の用かな?」

「昨日のことで聞きたいことがあるの」

「どんなことだい?」

土門は周囲の視線を気にして、幼い少女に語りかける芝居をした。

「う…ん」

それに対して、吹は面白がっているのか…もじもじと答えない。

土門は口の端を引くつかせる。

「刑事さん。侑李、喉が乾いちゃった」

いっそ見事なまでの猫かぶりっぷりに、口端だけでなく、土門のこめかみもピクピクと痙攣しだした。

「…それなら、外で何か飲むかい?」

「うん!!!」

ご機嫌な侑李を連れ、土門は府警近くの公園へと向かった。
途中、コンビニに寄り、侑李…もとい、吹のリクエストするお菓子とアイスを買い込んだ。
二人はベンチに座ると、溶ける前に…とアイスを食べ始めた。
吹はフルーツバーを。
土門はバニラソフトを。

「へー。刑事さんて甘いものが好きなんだ。似合わなーい」

からかう様な口調に、ここでは土門も盛大に眉を持ち上げた。

「悪いか?人に物をたかるような奴には言われたくないな」

「たかるなんて、人聞きの悪い…」

「よく言う……ん?」

土門の視線の先、公園の入口に制服警官が現れた。
そして、一直線に二人を目がけて歩いてくる。

「こんにちは。失礼ですが、この女の子はあなたの娘さんですか?」

「……いえ」

「では、どういったご関係ですか?」

二人は思わず顔を見合わせた。

「あなた、お仕事は何を?」

尚も職質は続く。

「なぜですか?」

「ご近所の方が心配されているようでして。すみませんね、確認のために答えてもらえませんか?」

要するに、土門を誘拐犯か、変質者だと疑っているのだ。

「自分は公務員です。あなたと同じでね」

土門は胸ポケットから身分証を取り出すと、制服警官に見せた。

「も、申し訳ありませんっ!」

警官は可哀想なくらいに狼狽え、慌てて敬礼しつつ謝罪する。

「彼女は知人の娘さんだ。もういいかな?」

「し、承知しました!」

警官はキビキビと頭を下げる。

「ご苦労さん。“吹”、帰ろうか」

土門は立ち上がると歩き出しながら、少女の名前を呼んだ。
場所を変えようとしているのだ。
しかし、吹は目を丸くし、立ち尽くしたままだ。

「どうした、“吹”?行くぞ」

吹は頷くと、一歩踏み出した。

ーーーーー 初めてだ。

また一歩。

ーーーーー 外で。

もう一歩…。

ーーーーー 知らない人の前で。

侑李ではなく。
自分の名前を呼ばれたのは。

何だろう。

太陽の光は、こんなに眩しかっただろうか?
青空は、こんなに澄んでいただろうか。
鳥の囀りは、こんなに可愛らしいものだったろうか。

目に見えるもの、すべてが輝いて見える。
耳に聞こえるもの、すべての音色が美しく聴こえる。


気づけば、吹は軽やかに走り出していた。
その大きな背中を追いかけて。


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