糸し糸しと言う心
外見からは想像できない仕草や口調に、土門もマリコも呆気に取られてしまった。
「私は榊マリコ。この家から大きな音が聞こえたから、心配で上がらせてもらったの」
「ふーん。いいの?不法侵入じゃん」
すると土門が警察手帳を提示した。
「緊急事案だと判断したんだ」
「チッ。サツかよ」
「君は?この家の子か?」
「そうだけど、違う」
「どういう意味かしら?」
「この体の持ち主は、この家のお嬢サマだけど、アタシは根無し草だよ」
「おい、ふざけてるのか!」
土門は声を荒げた。
「待って、土門さん。あなた名前は?」
「
「吹さん、名字は?」
「ないよ。
「侑李?」
土門は意味がわからないといった顔をしている。
「吹さん。鷺沼侑李さんていうのは?」
「この体の持ち主だよ」
マリコは得心がいったのか、「なるほど」と呟いた。
「榊、どういうことだ?」
「吹さん。もしかして、鷺沼侑李さんは多重人格ではないですか?」
「そうだよ。アタシは侑李が生んだもう一人の人格」
「多重人格…」
土門は『吹』と名乗る少女をまじまじと見つめた。
これまで多重人格を装う犯人と対峙することはあったが、幼い少女の多重人格者に出会ったのはこれが初めてだ。
「そんなに珍しい?」
土門の視線に吹は苦笑する。
その顔は子どもには見えず、成熟した大人のようだった。
「アタシはさ、侑李の心に宿っているけど、歳は侑李よりずっと上だよ。多分30代だと思う。多少のことでは動じない。こんなスレた性格だしね」
吹は肩をすくめた。
「いつから侑李さんと一緒にいるの?」
「よく覚えてない。でも侑李の4歳の誕生日会のことは覚えてる」
「誕生日会?」
「アタシはね」と吹はマリコの問いかけには答えなかった。
「侑李の嫌なこと、怖いこと、悲しいことの引受人なんだよ。侑李の心が耐えきれなくなると、あの子がアタシを呼ぶんだ」
「それじゃあ、今も?」
「そう。あんたたちが聞いたっていう大きな音が原因かな。侑李は今、丸くなって眠ってる」
「ニャア」
鳴き声を上げたのは、吹の隣で寝そべっていた白猫だ。
「この子は、侑李さんの飼い猫?」
「そう。ヴァイスっていうんだ」
「ヴァイス…『白』という意味ね」
「榊。こいつ、目が……」
土門はヴァイスの頭を撫でようとして、片目をつむったままなことに気づいた。
「侑李が4歳のときにヴァイスが怪我をしたんだ。それ以来、ヴァイスの目はずっとこのままだよ」
「…………また、4歳」
マリコは人差し指を顎に当て、考え込む。
その時、また別の鳴き声がした。
「ニャン!」
窓の外から、聞こえてきたその声は…。
「オパール!」
マリコがベランダの窓を開けると、軽い身のこなしでオパールが部屋へと入ってきた。
「あんたたちの飼い猫?」
「違うわ。知り合いのところの猫よ」
「ふーん」
「オパール、どうしてここにいるの?鉢植を台無しにしたのは、あなたじゃないわよね?」
「……………」
オパールはじっとマリコの顔を見ている。
「鉢植?」
そういうと、吹はベランダから外を覗き込んだ。
「あー。なるほどね。それでアタシが呼ばれた訳か…」
「吹さん、どういう意味?あなた何か知っているの?」
ひとりで納得した様子の吹に、マリコはたずねた。
「知っているも何も、鉢植をこんなにしたのは多分侑李だよ」
「え!?」
「後で母親にバレて怒られるのが怖いから、アタシを呼びつけて、本人は隠れちまったのさ」
「どうして侑李さんが……」
「キャー!!!」
そのとき、玄関の方角から金切り声が響いた。
「侑李!侑李!」
バタバタと荒い足音とともに、中年の女性が現れた。
身綺麗にはしているが、ひどく神経質そうな顔つきの女性だった。
「あ、あなた達、誰?泥棒?け、警察を呼ばなきゃ」
慌てて電話に飛びつく女性の鼻先に、土門が手帳を突きつけた。
「我々はその警察です」
「え?」
「近くを通りかかったところ、この家から大きな物音が聞こえたものですから、確認のため立ち寄らせてもらいました」
「大きな物音…?あ、あの、娘は?侑李は無事ですか?」
女性は土門に掴みかからんばかりの勢いだ。
「ママ…」
柱の影に隠れるように、侑李が顔をのぞかせた。
「侑李!」
女性は侑李に駆け寄ると、その体を掻き抱いた。
「良かったわ、無事で。どこも怪我はしていない?」
「うん」
「怖かったわね。もう大丈夫よ」
「……………」
土門とマリコは母親に真実を告げるべきか、判断に迷っていた。
そんな二人の顔を、母親の腕の中から侑李が見つめている。
いや。
その瞳に浮かぶのは子どもらしい単純明快なものではなく、憂いを含んだような複雑な色合いだった。
「吹、だな」
土門の囁きに、マリコも頷く。
「どうする?土門さん」
土門は彼女の心の内を探るように、しばらく吹の顔を見ていた。
「……………今日はこのまま帰ろう」
土門は母親に周辺のパトロールを強化させる旨を伝えると、マリコを伴って帰っていった。
少女は何も言わず、二人を見送った。