糸し糸しと言う心



沈んだ気持ちと哀しみを抱えたままの二人は家に帰る気分にはならず、その足はあの場所へと向いた。


「こんばんは」

軽い鈴の音に、マリコの声が重なる。

「いらっしゃいませ。榊さま。土門さま」

耳に馴染んだマスターの声。
聞き慣れたBGM。

“変わらない”ということが、今の二人には安らぎだ。
と、そう思っていた二人だったが…。

「え?」

そこには大きな変化が待ち受けていた。

「マスター?オパール??」

店の隅には2匹の猫がいた。
1匹は不思議な七色の瞳を持つ、成猫。
もう1匹は、まごうかたなき漆黒の仔猫。

「お前の子か!?」

単刀直入な土門に、すかさず猫パンチが飛んだ。

「いてっ!何だよ、違うのか?」

「土門さま。オパールには、その辺りのことは厳しくしつけていますから、その可能性は低いです!」

飼い主もややむっとしているようだ。

「すみません、マスター。土門さん、デリカシー無さ過ぎよ」

「お前が言うのか?」

「え?」

「いや、何でもない。それでは捨て猫ですか?」

「いえ。詳しいことは分かりません。今朝方、オパールが連れてきたんです。でもトイレの躾もされているようなので、恐らく迷い猫ではないかと思います」

「飼い主さんが探しているでしょうね」

「はい。先ほど近くの店に写真を置いてもらえるように頼んできたところです。」

「早く見つかるといいですね。ええと……………」

「こいつ、名前は無いんですか?」

「はい。飼い主が見つかるまでの仮の名前ですから、『ジジ』はどうかと思ったのですが、オパールにも仔猫にもそっぽを向かれまして…」

マスターは弱り顔だ。
どこかで聞いた名前だと笑いながら、土門は提案した。

「『吹』はどうですか?」

「土門さん?」

「オパール、『吹』という名前ならどうだ?」

「ウニャン」

恐らく、異存なし。

「お前も。『吹』でいいか?」

仔猫は漆黒の瞳でじっと土門を見つめる。
そして、ぺろりと小さな舌が土門の指を舐めた。

「決まりだな。今日からおまえは『吹』だ」

「ミャウ!」

吹は、土門の膝に飛び乗った。
そして、オパールはマリコの隣の椅子で丸くなる。

マスターがカクテルの準備を始めるのを見計らい、マリコは土門に話しかけた。

「土門さん、どうして吹さんの名前を付けたの?」

「居なくなった吹と入れ替わるようにやってきたんだ。何だか運命的なものを感じないか?それに…」

土門は吹の頭を撫でる。

「自由に動ける体をアイツにやりたかった。もちろん、自己満足なのは分かってるがな」

吹は土門の手に鼻を擦りつけて甘える。
土門も嬉しそうに、さらに吹を可愛がる。

それからの土門は酒にもほとんど手をつけず、吹と遊んでばかりいた。
このままでは吹を「連れて帰る」とでも言い出しそうだ。

「土門さん、お酒のおかわりはもういいの?」

マリコはなぜか面白くない。
土門はずっと吹を構ってばかりなのだ。

「ん?何だ?機嫌が悪いな」

「別に」

「お前、もしかして…。こいつに焼き餅か?」

土門はマリコの鼻先に吹を近づける。

「ミャー?」

吹は不思議そうにマリコを見た。

「そんな訳ないでしょっ!」

「おかんむりだな」

土門は苦笑すると、マスターにチェックを依頼した。

「帰るの?」

「もう1匹の猫も構ってやらんとな」

「ちょっと!」

土門の腕がそっと伸び、マリコの肩を抱き寄せる。
すると。

ーーーーー ガリッ!

「いてぇ!」

爪を立てたのは、マリコの隣でアクビを零す看板猫。

「オパール、またね。吹ちゃんをよろしくね」

「ニャァ」

「オパールはお利口ね。本当に躾は大切だわ」

マリコは自分の腰のあたりを彷徨う手を捕まえ、捻り上げた。

「いてて…」

「土門薫警部補。京都府迷惑防止条例違反で逮捕します」

「わかった、わかった」

土門はあっさり白旗を挙げる。
マリコは土門の手を開放した。

「取り調べは朝までかかるわよ。覚悟してね!」

そういうと、腰に両手を当て身を乗り出す。
すると土門も同じように腰を折り、マリコへ顔を近づけた。

「おう!望むところだ」

「!?」

一瞬の早業。

「…せ、窃盗罪も追加よ!」

マリコは真っ赤になって盗まれた唇を隠すのだった。



『“戀”ってなんだろう』

七色の瞳を持つ猫は、目の前の人間たちを見てようやく自分なりの答えにたどり着いた。

恋って、大切な誰かを想うこと。
そして。
その人ために怒って、泣いて、笑って…愛しんで。

一緒に生きていく、ということだ。



fin.


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