糸し糸しと言う心
土門がこの話をマリコに伝えてすぐ、京都市内で大きな事件が発生した。
二人はともに捜査が忙しくなり、吹のことが気になりながらも、足を向ける時間が取れずにいた。
そうして2週間が経ったころ、マリコのもとに一本の電話がかかってきた。
「榊です」
「鷺沼さんという女の子からお電話なんですが…、榊さん、ご存知ですか?」
「ええ、繋いでください」
「わかりました」
「もしもし、榊です」
受付の署員から回線の変わった電話に、マリコはそう呼びかけた。
「…もし、もし」
「吹さん?」
「ううん。侑李、です」
「侑李さん?どうしたの?」
「吹ちゃんから、お願いされたの」
「え?」
「『“ありがとう”てお電話してね』って」
「侑李さん、吹さんは?」
「吹ちゃん。……居なくなっちゃったの」
「本当に?」
「うん……。あのね。侑李、今日引っ越すの」
「え?今日!?」
「それでね、『新しい学校でお友だち沢山作りたい』って吹ちゃんにお話したの。そうしたら吹ちゃんが、『お友だちが沢山できたら、もう寂しくない?』て聞いたの。だから、『寂しくないよ』って侑李が答えたら、吹ちゃん…『バイバイ』って」
「………そう」
「呼んでもお返事してくれないの」
グスッと鼻を鳴らす少女をマリコは励ました。
「侑李さん。侑李さんが泣いたら、吹さんが心配しちゃうわ」
「そしたら、吹ちゃん…また助けてくれるかな?」
「侑李さん…。吹さんは、きっと侑李さんに頑張って欲しいから居なくなったんだと思うの。だからもしかしたら……」
「なあに?」
「侑李さんがお友だちを沢山作って元気に頑張っていたら……吹さんとまた会えるかもしれないわね」
「本当!?侑李、頑張る!」
電話の向こうで、声に明るさが戻るのをマリコは感じた。
「偉いわね」
受話器を握りしめながら、マリコは心が痛んだ。
でも時に嘘は方便だ。
きっと吹だって侑李を悲しませたくて消えたわけじゃない。
マリコは思う。
吹は賭けたのだ。
侑李の未来の可能性に。
マリコは電話を切ると、壁の時計を見た。
この時間ならあるいは…。
屋上にはやはり土門の姿があった。
ちょうど仕事の電話を終えたところのようだ。
「土門さん!」
「おう、何か分かったのか?」
「ううん…。あのね……………」
マリコは言いよどむ。
「どうした?」
「今、侑李さんから電話があったの」
「侑李?吹じゃなくてか?」
「ええ。今日が引っ越しだったそうよ」
「なに?吹はもっと先だと…」
「でも、今日だって言ってたわ。それで、私たちに吹さんからの伝言を教えてくれたの」
「伝言?」
「ええ。『ありがとう』ですって」
「……………どういうことだ?」
「侑李さんがね、言ってたわ。吹さんが、いなく、なっ…ちゃっ……………」
マリコは口元を覆い、嗚咽を噛み殺す。
「……………榊」
「ごめ…な、さ、い………」
「いや。大丈夫か?」
「ええ。でも…。本当にこんなことになってしまう、なんて…」
マリコは酷く後悔していた。
自分たちが終わった事件に首を突っ込むようなことをしなければ。
余計なお節介を焼かなければ。
もしかしたら、吹はいまでも侑李と一緒にいられたかもしれない。
土門はマリコの考えを読んだのか、首を振る。
「それがいい事なのかどうか…。それは吹にしか分からない、とお前も言っていただろう。俺は遅かれ早かれ、吹は決断していたと思う。この前ここに来て、俺に嘘の引越し日を教えたときから、もしかしたらそのつもりだったのかもしれんな」
土門は最後に吹と会った時のことを思い返した。
「それにあの日の帰り際、吹は言ったんだ。『どうして自分には体がないのか、体さえあれば…』ってな。詳しいことはわからんが、肉体の持ち主以外の人格がそういう意志を持ち始めたら、侑李の心と体に何かしら悪い影響を与えるかもしれない。アイツはそれを心配していたのかもしれないな。まったく…」
土門はマリコを見た。
「どいつもこいつも、自分のことより他人のことばかりだ」
そういうと、土門はマリコの涙を拭う。
「お前のせいじゃない。だから泣くな」
「でも!」
「吹の伝言、忘れたのか?」
「…ありがとう?」
「そうだ。その言葉が吹の本心だろう。アイツはこうなったことを恨んだりしちゃいないさ」
土門は、ぐいっとマリコの頭を抱き寄せた。
「アイツなりに悩んで答えを出したんだ。俺たちくらい、そいつを尊重してやろう。認めてやろう。よく決心した、ってな」
「土門さん…」
「口の悪いヤツだったが。本当は優しくて寂しがりの女だったな」
土門は遠くを見つめる。
そして、腕の中のマリコを見た。
「どこかお前と似ているな。……だから、か」
最後は独白だった。
強がっていても、土門の前では寂しがりやで、泣き虫で。
そして、誰にでも優しすぎる女。
だから、気になる。
だから、守ってやりたくなるのだ。
「土門さんの言う通りね。吹さんはとても勇気ある決断をしたのよね。私、吹さんのこと絶対に忘れないわ」
「ああ、そうだな」
土門もまた、忘れられる訳がないと思う。
さよならを告げることなく去ってしまった彼女のことを。
そして、改めて強く念じる。
この温もりを決して手放してはならないと。
それはあえて相手に伝えることはなくとも、長い時間をかけて土門の心の奥深くに根付いている想い。
これからもずっと。
生ある限り。
共に。