糸し糸しと言う心
それから、5日後。
再び京都府警に小さな来客がやってきた。
前回のことを心得ていた受付の署員は、彼女を捜査一課の会議室に案内し、オレンジジュースを振る舞った。
「吹、待たせたな」
会議が長引いた土門が、吹のもとに駆けつけたのは30分も経ってからだった。
「遅いよ。ジュースお代わり!」
「お前、俺は仕事中なんだぞ。って、そのジュースどうしたんだ?」
「え?受付の若い子が気をきかせてくれみたいだよ」
「若い子って…」
土門は思わず吹き出した。
7歳の少女の口から出るには、不釣り合いすぎる。
「それで、今日は鑑定結果を聞きに来たのか?」
「そう。母親は侑李には教えてくれなくてさ」
「榊が鑑定した結果、花瓶に破損箇所は見られなかった。血痕の跡や、不自然な指紋も見つからなかったそうだ」
「それじゃぁ…」
「鷺沼さんは事故死だ」
吹はほっと安堵の息を吐いた。
「実は…あんたたちのおかげでさ。母親が侑李に事件の事をちゃんと話してくれたんだ」
「そうか!」
「アタシも一緒に聞いてたけど、隠し事はしてなかった。今の侑李には理解が難しいこともあったと思う。でも、そういうことも全部話したことで、侑李は侑李なりに納得したみたいだ」
「それは。良かったが………」
「何だよ」
急に語尾の勢いが落ちた土門を、吹はじろりと睨む。
「いや、その…」
「お節介な刑事のことだから、アタシが消えちゃったら、自分のせいだ…とか気にしてたわけ?」
「……………」
「アタシはこの通り、今でも侑李の体に同居させてもらってるよ」
「良かった…」
思わず出た安堵の言葉と息に、吹は微笑んだ。
「今日はもう帰らないと。あの科捜研のオバサンにもよろしく伝えて」
「ああ。家まで送ろうか?」
土門は車のキーを見せた。
「覆面なんて、死んでも乗るか!」
ツン!と侑李はそっぽを向く。
その子どもらしい仕草に、土門は笑った。
「そうか?また、時々は顔を見せに来いよ」
軽い気持ちで約束を持ちかけた土門だったが。
「それは……ムリ」
「なぜだ?」
「引っ越すことになったんだよ」
「え?」
「この機会に、新しい土地で新しい生活を始めようって母親が言い出してさ」
「…そうか。引っ越しはいつだ?」
「1か月後」
「わかった。それまでには榊と挨拶に行く」
「約束?」
「そう。約束だ」
吹は笑って、立ち上がる。
「なあ、刑事さん」
会議室を出る前に、吹は土門を振り返った。
「何だ?」
「どうしてアタシには体がないのかな?吹という名前も人格もちゃーんとあるのにさ。体だけがないんだ…」
これまで吹は自分の人生や運命をそれほど辛いものだと思ったことはなかった。
だけど、土門に出会い。
マリコと土門を見るたびに、心がチクリと痛むのだ。
はじめの頃、吹はこの胸の痛みは侑李のものだと思っていた。
でもそうではないと気づいたのだ。
この痛みは、気持は、吹自身のものだ。
ーーーーー もし自分に、自分だけの体があれば…。
「吹……」
「ゴメン、刑事さんにだってわかんないよな?忘れてよ。じゃあ、また」
小さな体の吹はパタパタと走り去って行った。