ウェディング・エチュード
結局、爆弾犯について有力な手がかりが得られないまま当日を迎えた。
ホテル側も、偽の結婚式以外は営業休止の措置を取るか、最後まで迷っていたようだが、犯人から予告があったわけではなく、密告のみであること。
連日の捜索でも不審な物や人物が見つからないことなどから、イベントは極力少なくした状態で営業することに決めたようだ。
マリコ以外の科捜研メンバーは、ホテルの外に機材を積んだ車を停め、待機している。
そして土門を除いた捜査員らはいくつかの班に分けられた。
一つは、出席者へ扮した爆弾処理班とともに式に参列するもの。
一つは、宿泊客に扮し、ホテル内の警備と爆弾の捜索にあたるもの。
一つは、ホテルの外から不審者や不審車両の発見、有事の際には住民の避難誘導にあたるもの。
蒲原は一番上の班に振り分けられ、主にマリコの護衛につくことになっている。
土門とマリコも早めにホテルへ入ると、再度ホテルの見取図を確認し、避難経路や各フロアの配電板、管理室の場所などを頭に叩き込んだ。
「マリコさん」
蒲原がインカムの指令を聞き取り、マリコを呼んだ。
「そろそろ準備に入って欲しいそうです」
「分かったわ。土門さんはもう少し後よね?」
「ああ。あとで迎えに行くぞ、花嫁」
ニヤリと土門は笑う。
「遅刻しないでよね、花婿さん」
マリコはひらりと手を振ると、蒲原を伴い、一足先に出ていった。
マリコが支度部屋へつくと、待っていた数名のスタッフがいっせいに頭を下げる。
「榊さま、本日はおめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
仕事とはいえ、スタッフを騙していることに、マリコは申し訳ない気持ちで一杯になった。
「よろしくお願いします」
せめて…と、マリコは深々と頭を下げた。
いつもより少し濃いめのメイクが、マリコの目鼻立ちを際立たせる。
普段はしない、髪をアップにしたことで、形のいい耳や、真っ白なうなじも顕になる。
そこにマーメイドラインのドレスと、長めのベールをまとえば完成だ。
「よしっ!」と腕まくりしたスタッフの一人が満足そうな声を上げた。
「とっても綺麗ですよ。まるでモデルさんみたい。これならきっと、新郎も惚れ直すわ」
ほかのスタッフも笑顔で頷く。
「私たちはこれで退室しますけれど、もし着崩れなどした場合は内線で呼んでください」
「はい。あの…、色々とありがとうございました」
「とんでもない。どうぞお幸せに」
一番年長らしいスタッフは、そういって部屋を出ていった。
スタッフと入れ違うようにして、土門が現れた。
毎度のごとく、ノックはなしだ。
「あのね、科捜研じゃないんだから、ノックぐらいして」
「……………」
「土門さん?」
「……………」
「土門さん、聞いてるの?」
「……………聞いてる」
耳に声は届いても、視線が一点に張り付いたまま動かないのだ。
固まってしまった土門に、マリコは首をかしげる。
「どうしたの?」
「お前が悪い」
「え?どういう意味?」
「この前の衣装合わせの時と、全然違うじゃないか」
「それはお化粧も、髪型だって変わるし、ベールもちゃんとつけてもらったんだもの。この前とは……」
説明している間に、土門はマリコに近づき、そっと両腕を回した。
「馬子にも衣装、なんて流石に言えんな。……………綺麗だ」
感嘆のため息が混じった声。
「これが捜査じゃなかったら。ここに皆がいなかったら」
土門はマリコの肩に額を乗せた。
「なかったら?」
「………押し倒していた」
マリコはそのセリフにふふっと笑う。
「残念だったわね。今は我慢してちょうだい」
これで、とマリコは土門の頬に軽いキスを落とした。
「それだけか?」
「ルージュが落ちたら大変でしょ?」
「ふんっ!つまらん」
トントントン。
その時、控えめなノックの音が響いた。
「マリコさん、いいですか?」
蒲原の声だ。
「どうぞ」
「失礼します」
ガチャッとドアを開けた蒲原は、閉めることも忘れ、呆けた顔で立ち尽くした。
「蒲原さん?」
「あ、いえ。すみません。というか、あの。綺麗です。すごく。マリコさん」
軽くパニックに陥っているのか、蒲原の感想はまるで子どものようだ。
「ありがとう」
マリコはにっこり微笑む。
その様子にポーっとする蒲原に不機嫌な声がかかった。
「おい!」
「は、はい!…あ?土門さん!」
「『あ?』じゃない。何の用だ?まだ式の時間じゃないだろう」
二人の時間を邪魔されたことが気に入らないのか、土門の言葉は刺々しい。
「実は業者がウェディングケーキを届けに来たんです。お二人から事前にそんな話は聞いていなかったので、確認しにきました」
「そんなもん、頼んでないぞ」
「披露宴はやらないもの。必要ないわ」
二人は揃って否定した。
「まだその業者はいるのか?」
「はい。待たせています」
「よし、話を聞いてみよう」
「待って。私も行くわ」
マリコは手にしていたレースのグローブをテーブルに置いた。
「行くわ…って、せっかくのドレスが崩れるぞ」
「大丈夫よ」
「しかし………」
「土門さんはベールを持って。早く!」
「言い出したらきかないやつだな。まったく……」
やれやれと、土門は床まで伸びるベールを持ち上げた。
「さあ、行きましょう」
自分も裾をたくしあげ、さっそうと花嫁は歩き出す。
その後ろをまるで従者のように付き添う白いタキシードの新郎。
さらにその背後に続く蒲原は、上司たちの近い将来を覗いたようで……微笑ましさ半分、苦笑半分の何ともいえない顔をしていた。