おくる言葉
それから数日後。
仕事中のマリコのもとへ、伊知郎からメールが届いた。
『母さんが発熱した』
「え?」
冒頭の一文に、マリコは凍りついた。
嫌な予感が脳裏を巡る。
今日の感染者数は何人だったろうか。
まさか明日発表の数字のうち、一人が…。
まさか、そんな。
そんなこと、あるはずない。
きっと、ない。
マリコは一度まばたきをすると、メールの続きに目を走らせた。
『これから病院へ行って検査してもらってくるよ。結果が出たら知らせるから』
母のことは心配だが、今は伊知郎からの連絡を待つしかない。
先日の電話のやりとりが、こんなに早く現実のものになろうとは…マリコは無意識にスマホをきつく握りしめた。
このことは誰にも知らせず、マリコは鑑定に無理やり意識を戻した。
次の伊知郎からの連絡は夕方だった。
“陰性”
マリコはその単語を目にして、深く、深く息を吐き出した。
「母さん、良かった…」
何となく新鮮な空気を吸いたくなって、マリコはラボを出た。
自然と屋上を目指す足に、しかしマリコはブレーキをかけた。
もし今、土門に出会ってしまったら?
何もかも曝け出してしまうかもしれない。
心配をかけることになる、そう考え、マリコは逆方向に向かった。
一方。
その後ろ姿を、聞き込みに出かけようとしていた土門が見つけた。
「榊?」
マリコは何か思いつめたような表情をしていた。
土門は数日前からマリコの様子がどことなくおかしいことに気づいていた。
時おり、一人で何か考え込んでいるようなのだ。
問うことは簡単だが、おそらく簡単に口を割ることはないだろう。
マリコはそういう女だ。
だから、土門はしばらく見守ることに決めた。