キセキ



「あら?」

クリスマス当日。
出勤したマリコは、自分のデスクに置かれた紙袋に気づいた。

「何かしら?まさか爆弾…てことはないわよね?」

迂闊に開けることはせず、マリコはパブリックスペースに顔をのぞかせた。

「私の机の荷物、誰か知ってますか?」

すると、「ああ…」と宇佐見が声をあげた。

「少し前に土門さんが見えて、置いていきましたよ」

「土門さんが?…ありがとうございます」

マリコは顔を引っ込めると、紙袋を開けた。

取り出してみると、それは細い小瓶だった。
中は透明な液体で満たされ、先端にはクリスタルの星型の蓋がついていた。

「これ…………香水かしら?」

マリコは改めて瓶に目をやる。

片面にラベルは貼られているが、何も書かれてはおらず白いままだった。

「土門さんが私に香水を?」

マリコは華奢な瓶を凝視したまま、動かなくなってしまった。




「ま、い、ど〜」

ご機嫌な様子でやって来た早月は、『メリー・クリスマス』と叫びながら、ドン!と中央のデスクに箱を乗せた。

「今日はもちろん…クリスマスケーキ!」

「うわーい♡」

紙皿とフォークを手に、呂太が走り寄る。

「ボク、サンタが乗ってるところね♪」

「そういうのは、亜美ちゃんとかマリコさんとか、女子に譲るの!」

早月が人差し指をたて、ビシッ!と呂太に言い含める。

「ええー」

「私、いりませんよ。その代わり、このイチゴが大きいのもらいます(`・ω・´)ゞ」

ちゃっかりと亜美はもうケーキを自分の皿に載せていた。

「先生、それより…」

マリコもまた、サンタに興味はないようだ。

「あー、はいはい。サンタは君に進呈するよ。物理研究員」

「やったね♪」

いそいそとケーキを取り出す呂太を尻目に、早月はマリコに引きずられるようにして彼女のラボに連れ込まれた。


「マリコさん、何か解剖所見に気になるところでもあった?」

「いえ、違うんです」

「え?それじゃあ、なに?」

「あの。これ…………どう思います?」

マリコはデスクの小瓶を指差す。

「どう……って、香水に見えるけど?違うの?ん?この香水、ラベルは付いてるけど、名前がないの?」

「はい」

「この香水、どうしたの?」

「あの、それは………」

ほんのり耳を染めるマリコに、早月は全てを悟った。

「ふーん。ちょっと見せてね」

そういうと、早月はラベルの端に刻印された英字をスマホで検索してみた。

「やっぱりね」

「何ですか?」

「この香水の製造元を調べたら、オリジナル香水の専門店だった」

「オリジナル?」

「そう。依頼主の希望をもとにオリジナルレシピで調合された世界に一つの香水を作るお店よ。つまりこの香水は、マリコさんのためだけに作られたのね。素敵なクリスマスプレゼントじゃない。誰から贈られたのかは聞かないけどね〜」

「私だけの……ため?」

マリコには実感がないようだ。

「マリコさん、もう開けてみたの?」

「いえ。まだです」

「せっかくだから、つけてみたら?」

「そう、ですね」

星の蓋を開けると、ふわり…とすぐに香りが広がる。

マリコは手首の内側に少しだけつけると、両手首を擦り合わせた。


「ねえ、マリコさん。“ノート”って知ってる?」

「ここにも何冊かありますけど?」 

ガックリと早月は頭を垂れ、しかしすぐに復活した。

「そのノートじゃなくてね。香水の“ノート”」

「?」

マリコの脳には、香水の調合について詳しく記されたノートでも浮かんでいるのだろう。
早月は苦笑した。

「香水にはトップ、ミドル、ラストって“ノート”があるの。時間の経過とともに、変わる香りを楽しめるのよ」

「知りませんでした」

ははは、と早月は笑う。
そしてマリコに近づくと、スンッと香りを嗅いだ。

「この香水のトップはとても爽やかね。シトラス系かな…。これから何かが始まる…そんな予感がしない?」

「そうでしょうか?」

マリコは手首に顔を近づける。
確かに爽やかな香りからはフレッシュさを感じる。

そして暫く時間がたつと、確かに香りは変化した。

「ミドルは…何だろう」

「花のような香りがします」

「そう、フローラル系ね。トップより甘い香り」

早月は意味あり気にマリコを見た。

「何か?」

「ううん。この期間がとても長かったなあ…と思って」

「は?」

「何でもなーい。ん?また少し変わったんじゃない?」

そしてラストノートは。
深くて、甘い。
そして切ない…。
それはただ香るだけでなく、まるで送り主の名前のようにマリコの心に染み込んだ。





翌日、マリコはこの香水をまとって、屋上へ上がった。

背中を向けていた土門は、空気の流れに乗って仄かな香りが漂ってきたことに気づいた。
振り返ると、マリコが立っていた。

「榊…」

「土門さん、香水ありがとう」

「お、おう」

「さっそくつけてみたんだけど、どお?」

「爽やかな香りがするな」

「うん。でももうすぐ変わるわよ」

マリコの宣言通り、土門の鼻先をくすぐる匂いが変化した。

「花の香りだな」

「ええ。あ、そうだ。鑑定結果を渡そうと思って持ってきたの」

マリコは脇に抱えたファイルをまとめる。

「ん、すまんな」

「でもその前に、少し説明させて」

マリコは鑑定結果を渡す前に、鑑定方法や誤差についていくつか説明した。

「なるほどな。承知した」

土門が頷くと、資料を手にマリコが近づいてきた。
すると、新たな香りがふわりと広がった。

「?」

「変わったでしょ?」

「ああ」

土門は素直に頷く。

「この香水、まるで恋心みたいよね」

「なに?」

マリコの言葉に、土門は少なからず…いや、大いに動揺した。

「昨日初めてつけた時にそう思ったの。ねえ、これって」

マリコはそこで一旦言葉を切った。
そして、ふいに土門へ資料を差し出した。

「はい」

「あ、ああ…」

土門が、ファイルを受け取ろうと条件反射で伸ばした腕を、マリコは掴んだ。

「榊?」

「ねえ、これって。この香りは土門さん自身?」

二人は視線を絡ませる。
どちらも逸らすことができない。

「そう…だと言ったら?」

無意識に土門の声は掠れる。

「それを私にくれたの?」

「だったらどうする?」

「答える前に、一つだけ教えて」

「何だ?」

「この香水には名前が書かれていなかったわ。何ていうの?」

「ないんだ」

「え?」

土門は捕らわれたままの腕を引き戻した。
勢い、マリコは土門の腕の中へ。

「榊。この香水は俺がお前のためにオーダーしたオリジナルだ。どうにも名前が決まらなくてな。だったらあえて名前をつけず、お前に委ねようと考えた。榊、お前はこの香水から何を感じた?」

3つの移り変わるノートは、マリコに何を届けたのだろう…。

この香水は、それ単品では完成しない。
送り主の土門の想いと、香りを纏うマリコの答えが重なり合って初めて。
完成するのだ。

「聞かせてくれ」

シュッ、と土門の耳元で音がした。
それとともに、再び、マリコに会ったときと同じ香りが漂った。

「榊?」

「私も土門さんと同じ。トップノートのように、出会いに何かを感じて。ミドルノートのようにもどかしく甘い感情をずっと抱えていたわ。でも、もう…ラストノートになっても」

マリコは土門を見上げた。

「いいわよね?」

「随分時間がかかっちまったけどな」

笑いながら、土門は腕の中のマリコを見下ろす。

この想い届けよう。
ただ一度だけ、言葉にして。


「お前が好きだ、榊」


いつの間にか変化した香りに、マリコと土門の吐息が混じり合う。
深く、甘く、切なく。
そこに未来への希望という華やかさも加わって。
ようやく。
無名の香水は完成した。




「まいど〜」

「あ、先生。いらっしゃい!」

ちょうど科捜研へ戻ってきた二人は、早月を迎えた。

「あら?」

二人から同じ香りがすることに気づいた早月は、ほくそ笑む。

「恋愛解剖報告書の作成が楽しみね♪」

きょとんとしたマリコと、そっぽを向いた土門。

「もしかすると…。香水って、実はすごい凶器なのかも!」

早月は意味あり気にマリコを見た。

「え、そうなんですか?」

マリコは目を開いて、早月の言葉に食いつく。

「まさか何か特殊な条件下では、人体に大きな影響があるとか?」

「そう。そうなのよ!さすがね、マリコさん。あのね、クリスマスに、両片想いという状況下にあるとき、被疑者が香水を送ることで、被害者の心臓を鷲掴みにしちゃうみたいよ!」

「え?あの??」

慌てふためくマリコに、早月は笑って封筒を押し付ける。

「これは、ちゃんとした解剖報告書よ?」

そして「じゃあね」と手を振った後で、こっそりマリコに耳打ちした。

「マリコさん、必要だったらセクシーランジェリーショップ紹介するからね♡」

「先生!!!」

今度こそ早月は科捜研を逃げ出した。



二人を結びつけた無名の香水。
屋上で、マリコはぴったりの名前をつけた。

『キセキ』

それは。
聖夜の二人におとずれた奇跡。
そして、これまでの二人の軌跡。

二人の歩んだわだちが、どうかこの先もずっと続いて行きますように…。



fin.


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