キセキ
『お前が好きだ、榊』
その言葉はもう何年、いや、何十年も土門の心の奥底に沈んでいる。
初めて会ったのは、もう何年前なのか。
よく覚えていない。
けれど、印象は最悪な女だった。
刑事でもないくせに、しゃしゃり出てきては捜査に口出しする迷惑な女。
いつもポロシャツにジーンズ。
小さくて、ひょろりとした板っきれのような姿は、はっきりいって少年にしか見えなかった。
当時は土門の口の悪さも相まって、負けん気の強いマリコとぶつかることはしょっちゅうだった。
現場で会う度、会う度、二人は自分の信念を武器に戦いあった。
だが、そんな状態が暫く続くうち、土門はあることに気づいた。
二人の主張はいつも白と黒。
北と南。
S極とN極。
それなのに最後には必ず同じ場所、同じ人物に辿り着くのだ。
科学と刑事の勘。
それは迂回路を右に曲がるか、左に折れるかだけの差だったのだ。
そのことに気づいてから、土門のマリコを見る目は変わった。
まずいがみ合うのではなく、マリコの意見にも耳を貸すことにしたのだ。
その上で、総合的に判断する。
それが事件解決への一番の近道だからだ。
実際、それ以来、二人はいくつもの事件を解決している。
今となっては出会った頃が嘘のように、土門はマリコを信頼している。
その心境の変化に伴い、ある一時期から土門の中でのマリコの立ち位置が変わりつつあった。
時には死と隣り合う現場で、誰よりも信頼できる仕事仲間。
しかしそれは木島や権藤、蒲原といった相棒も同じだ。
だがどんなに信頼する相棒だとしても、彼らには自分の弱さを見せられない。
弱音を吐けない。
でも、マリコになら…。
土門はこれまでに何度か、そんな己の不甲斐ない一面をマリコにだけは晒してきた。
なぜそんなことができたのだろうか。
答えは一つしかないだろう。
この胸の奥に沈めた想いだ。
また今年も京都に雪の季節がやってきた。
いつもなら、しんしんと積もる白い絨毯を横目に見ながら、平常心のまま一年を終えてゆく。
けれど、今年は少し違うようだ。
倉橋拓也という存在によって引き起こされたさざ波は、土門の心の中でいつまでたっても鎮まらない。
土門は苦悩していた。
そんなある日、土門のもとへ小包が届いた。
どうやら美貴宛の荷物が、間違えて以前の住所に届いてしまったようだ。
土門は久しぶりに妹へ連絡をとった。
『え?荷物?』
「そうだ。送り主は○○○となっている」
『あ、それ、大学のときの友だちだ!あちゃー、ずっと連絡するの忘れてた』
「どうする?」
『中身は何?』
「香水、と書いてある」
『食品じゃないなら、こっちに送ってくれる?ごめんね、お兄ちゃん』
「いや。プレゼントか何かか?」
送り主の名前からでは男か女か判断がつかず、土門は何となく気になった。
『やだ!違うわよ。“彼女”はね、ずっとフランスで調香の勉強をしていたの。たぶん彼女が作った香水を送ってくれたんだと思う。楽しみだなぁ』
「そうなのか?」
『そうよ。“自分だけの香り”なんて特別だもん』
「ほう」
『ごめん、そろそろ戻らなきゃ。お兄ちゃん、お願いね』
「おう!」
通話が切れた後で、土門は美貴の言葉を思い返した。
『自分だけの香りなんて、特別……』
クリスマスイブの夜、土門のもとに小さな箱が届いた。
それは土門が心待ちにしていたものだ。
封を開けて中身を確認する。
イメージ通りの外見に、土門はひとまず頷く。
問題の中身は…。
それはここでは開封できない。
中身を最初に知るのは、土門ではない。
これを贈る相手だ。
声にならないほどのお前への想い。
どうか言葉の代わりに届けてほしい。
華奢なガラスケースの中に閉じ込められた透明な液体は、いったい誰に何を伝えるのだろうか?
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