野生の同盟
スバルはあの夕立の日以来、マリコと出会ったコンビニを利用するようになった。
家からも大学からも決して近くはないが、それでも足繁く通い続けた。
目的は、そう。
「あら?スバルくん?」
彼女に会うためだ。
「マリコさん、こんにちは」
「スバルくん、またマスターと喧嘩したの?」
「ち、違います。えっと…大学の。大学の帰りです」
もちろん嘘だが、マリコは信じたようだ。
「マリコさんは、休憩時間ですか?」
「ええ。一段落ついたから、外の空気を吸いにね」
「あの…」
「なあに?」
「教えてもらいたいことがあるんです」
「私に?」
「はい。科学の講義でわからないところがあって」
「いいわよ。私でわかるかしら?」
二人は先日雨宿りした公園のベンチで、難問に奮闘した。
「この問題はまず、この公式に当てはめて…」
「え?こっちの式じゃなくて?」
「違うわよ。問題をよく読んで。もしその公式を使ってしまうと…ほら?」
「あ、そうか!引っかけ問題なんだ!」
「そう。こういう問題はね、ここに着目するといいわよ」
マリコはテキストに波線を引いた。
「あら?」
ポケットでスマホが振動する。
科捜研からの呼び出しだ。
「いけない!スバルくん、戻らなくちゃ。もう大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「うん。またね」
マリコは小走りにもと来た道を戻っていった。
これに味をしめたスバルは、その後もマリコに会うたび、教えをせがむようになった。
マリコも大学時代の懐かしい思いから、少しだけなら…と休憩時間にスバルと会う機会が増えていった。
そしてこの日も、二人はいつもの公園で問題に向かい合っていた。
やや曇り気味の天気と相まって、風の強い日だった。
マリコは風に踊る髪が邪魔で、幾度となく耳にかけ直す仕草を繰り返す。
スバルは、もはや勉強の話など耳をすり抜け、そんなマリコの様子に見入っていた。
その時。
一際強い風がマリコの髪を巻き上げた。
チラリと見えた白いうなじ。
はっと鼓動が跳ね上がったスバルは、しかし次の瞬間、暗い感情に襲われた。
マリコの白銀の様なうなじに、赤い印がついていたのだ。
それも一つではない。
それが何で、誰が付けたのか、スバルには心当たりがある。
二人の関係は分かっていたが、こうして目の当たりにすると我慢ができない。
あの刑事がこの美しいうなじを汚す様を想像し、スバルは怒りに震えた。
若さゆえか。
それが身勝手な感情だということも。
マリコを傷つけるかもしれないということも。
スバルには……分からなかった。
昏く重い感情に支配されたスバルは、目の前の美しい獲物を狩りたいという本能に逆らうことなく、長い腕を伸ばす。
逃さぬように…。
慎重に追い詰める腕が
「!?」
疾風が通り抜けた。
「っう!」
スバルの腕を押さえつけるのは、鋭い爪だ。
狩猟の何たるかも知らぬ若造を黙らせるには、十分な痛みの代償。
「オパール!」
突然現れたスリムな姿に驚き、マリコは目を丸くした。
「ニャァー」
「どうしたの?」
「ニャン」
オパールは爪を隠し、マリコに擦り寄る。
しかしその瞳はスバルに向けられていた。
――――― 警告。
いつもは七色の偏光が、今は黄色とオレンジが変わる変わる点滅している。
「あら、もうこんな時間なのね」
オパールの出現で時刻が気になったマリコは立ち上がる。
「スバルくん、途中だけどこの問題わかりそう?」
「あ、はい。大丈夫です」
「よかった。それじゃあ私、先に戻るわね。オパール、一人で帰れる?」
「ニャッ」
「大丈夫ってことかしら?」
マリコは笑うと、「またね」と一人と一匹に手を振った。
マリコの後ろ姿を見届けると、オパールはスバルに視線を向ける。
立てたしっぽを揺らすと、何も言わずに走り去った。
「……………」
スバルはオパールの爪に傷ついた手の甲を撫でる。
小さなミミズ腫れは、罰だ。
ここまでくれば、スバルも自分の気持ちに否が応でも気づく。
スバルの気持ち。それは。
「俺は、マリコさんが好きだ」
言葉にすると、より実感を伴う。
「俺は、マリコさんが好きだ。あいつには渡したくない。俺のものにしたい…」
渦巻く感情は、次第に危険な方向へと回転をはじめた。