野生の同盟



スバルは怒りの矛先を持て余し、あてもなく街を歩き続けていた。

「あら?スバルくん?」

ちょうどコンビニから出てきたマリコは、目の前を通り過ぎたスバルに気づき呼び止めた。

「あ!さかき……さん」

たどたどしい呼び方にマリコは笑った。

「マリコでいいわよ?」

「じゃぁ、マリコさん?」

「ええ。これからアルバイト?」

「あ、いや…」

「?」

「ちょっと叔父貴とケンカ…して………」

うつむくスバル。
マリコには、こんな情けない姿を見られたくなかった。

「そう…。もしかしてお店を飛び出してきたの?」

スバルは頷く。

「ふーん」

マリコはコンビニの袋を提げながら、歩き出した。
スバルも何となくそれに続く。
無言のまましばらく歩くと、公園の入口でマリコは足を止めた。

「ねえ。これ、あげる」

マリコがスバルに手渡したのは、チョコレート。

「食べてみて」

スバルは包装紙を剥くと、チョコレートを口に放り込んだ。

「甘い?」

「…………甘い、です」

「それを食べたら戻るといいわ」

「え?」

「だって、もうそんなに怒ってないでしょ?」

言われてみれば…とスバルは怒りが鎮火しつつあることに気づいた。

「軽く歩いたり、誰かと話したり。それに甘いものやビタミンを摂取すれば気分も落ち着くわ。セロトニンて物質が関係しているのだけれど…」

「?」

意味が分からず、スバルの眉間にシワが寄る。

「とにかく、戻ったほうがいいわ。マスターも心配してるはずよ」

スバルが頷きかけたとき、アスファルトに大きな染みができた。

「雨?」

そう思ったときには、ザァーと雨粒が二人を包んだ。

「マリコさん、こっち!」

スバルは公園内の屋根のある休憩所へとマリコを引っ張っていく。

ほんの数十秒の出来事だというのに、二人は見事に濡れそぼった。

「驚いたわね」

「大丈夫っすか?」

「ええ。通り雨だろうし、止んだら科捜研に戻るわ」

「かそうけん?」

スバルにはその単語が何を意味するのかまったく分からない。

「私、京都府警の科学捜査研究所で働いているのよ」

「警察?」

「んー、ちょっと違うわ。私は警察官じゃなくて、科学者よ。警察官は土門さん。この前、一緒に居た人よ」

あいつ、警察だったのか…とスバルは土門のピリッとした雰囲気の意味を理解した。

「私は科捜研に戻れば着替えがあるから。スバルくん、これ使って」

マリコは少し大判のハンカチをスバルに渡した。

「こんなの、すぐに乾くからだいじょう……」

ハンカチを返そうとしたスバルは、固まった。

目が。
ーーーーー 逸らせない。

雨に濡れたマリコのシャツは、肩の部分が透け、二本の筋がくっきりと映っていた。
一本はキャミソールの肩ひもだろう。
そしてもう一本は…。

スバルは無意識に喉を鳴らした。

「スバルくん?」

マリコは急に無言になってしまったスバルを心配し、身を寄せると、彼の顔を覗き込んだ。

「スバルくん、どうし…………えっ?」

気づいたとき、スバルの両手はマリコを抱きしめていた。
濡れたシャツを通して、マリコの体温がダイレクトに伝わる。
血液が逆流しそうな感覚に、スバルは慌ててマリコを離した。

「ご、ごめん!」

スバルは吐き捨てると、マリコを残し、その場から駆け出した。

「ちょっと、スバルくん!」

雨はまだ激しく、マリコの声はすぐに掻き消されてしまう。



「…かき!さかき!榊!」

ぐいっとマリコは腕を引かれた。

「え?」

振り返ると、土門がいた。

「土門さん?どうして?」

「科捜研へ行ったら、お前が傘を持たずに出かけたと涌田に聞いてな、迎えに来た」

「そうだったの。ありがとう」

「いや。それにしても随分………」

土門はマリコの肩で視線を留めた。

「随分濡れちまったな。寒くないか?」

「あ、うん…」

返事をしながらも、ぶるっとマリコは身を震わせる。

「風邪を引く。着ておけ」

土門はジャケットを脱ぐとマリコに羽織らせた。

「でも、濡ちゃう…」

「構わん。榊、お前……………」

「なに?」

喉元まで出掛けた言葉を、土門は飲み込んだ。

「いや。帰ろう」

あの男と何の話をしていたのか。
あの抱擁はどういう意味なのか。

実は土門は、事の一部始終を離れた場所から見ていた。
声は聞こえなかったが、おそらく手を出したのはスバルのほうだ。
だがそのファクターとして、このマリコの姿が関係していることも間違いではないだろう。

さて、どうするか…。

相合傘で土門の隣に肩を並べたマリコは、何も気づいてはいない。
それがマリコだと分かっていても、土門には歯痒い。

事件の際に発揮する鋭さの何分の1かでいい。
もう少し自分の周囲に気を配ってほしい。
もっと自分を大切にしてほしいのだ。

髪の毛一本ですら傷つくことが許せないほど、土門にとってマリコはかけがえのない存在だ。
誰にも汚されたくない。

土門は、腹の底に暗い何かが少しずつ溜まり始めていることをいよいよ無視できなくなっていた。


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