野生の同盟



「こんばんは」

扉を開けば、馴染みの光景が広がる。
落ち着いた光量と、耳に心地よい音楽。
この場にいるすべての人がリラックスできるように配慮された空間がここにはある。

………はず、なのだが?


「いらっしゃい」

「え?」

ぶっきらぼうな歓迎に、マリコは目をしばたいた。

「こら!『いらっしゃいませ』だろう。失礼しました、榊さま。こんばんは。ようこそ、いらっしゃいました」

『microscope』のマスターは恐縮した様子で頭を下げる。

「こんばんは、マスター。こちらは?」

マリコのいう“こちら”とは、マスターの隣に立つ若い男性のことだ。

大学生くらいだろうか。
やや長めの髪に、耳たぶにはいくつも並んだピアス。
細身でマスターよりも随分と背が高い。
ひょっとしたら、土門よりも高そうだとマリコは思った。

「甥です。今日が初日なもので、全く接客もできず、お恥ずかしい限りです。申し訳ございません」

「まあ、そうですか。君、アルバイト?」

マリコは青年に問いかける。

「うっす」

「スバル!」

マスターの目がつり上がった。

「えーと。はい」

「まったく榊さまになんて態度を……」

ブツクサと愚痴るマスターなんて、なかなかお目にはかかれない。

「スバルくん、て言うの?」

「うっす…と、はい」

「私は榊マリコです。いつもマスターにはお世話になっています」

くすりと笑うと、マリコは「よろしくね」とスバルに微笑みかけた。

「…………は、い」

スバルはその笑みに一瞬見惚れ、小声で頷いた。



「榊さま。土門さまと待ち合わせですか?」

カウンターに腰掛けたマリコは、「はい」と答える。

「ではオーダーは、土門さまがいらっしゃってからになさいますか?」

「それが、まだ少しかかるそうなんです。だから先に…“マリコ”をいただけますか?」

「かしこまりました」

「マリコ?」

会話を聞いてたスバルは不思議そうな顔をする。
そんな名前のカクテルはメニューにはないからだ。

「“マリコ”は、私のためにマスターが特別に考えてくれたカクテルなの」

マリコは組んだ両手に顎を乗せ、カクテルを調合するマスターの手元を見つめている。

マスターは手際よく数種類の酒を合わせると、流れるような仕草でシェイカーを振る。
そしてマリコの目の前には、グラデーションの美しいピンクのカクテルが差し出された。

「お待たせいたしました」

「ありがとうございます」

マリコはグラスの縁を舐めとるようにカクテルを含む。
口内に吸い込まれた液体はマリコの喉を滑り落ちる。

―――――コクン。

その一連の動作から、なぜかスバルは目が離せずにいた。


「ニャァ」

ふいにマリコの隣席に小柄な影が舞い降りた。

「オパール!こんばんは」

「ニャッ!」

挨拶を済ますと、『microscope』の看板猫は早速マリコの膝に飛び移る。

「おい、オパール!」

スバルは慌てるが、マスターは苦笑するだけだ。

「叔父貴、いいのかよ?オパールのやつ、客に………」

「店では『マスター』と呼べと言ってるだろう?それに榊さまは大丈夫だ」

「ええ。オパールとはお友達なの。ね?」

「ニャン!」

オパールはのんびりとあくびをすると、マリコの膝の上で丸くなり目を閉じた。

「でも、服が!おい、起きろよ。オパール!」

「……ウニャニャ!」

訳せば『うるさいっ!』だろうか?
オパールは毛を逆立てる。

「スバルくん、いいの。オパールは賢い子だから、服を汚したりしないし、言えばちゃんとどいてくれるわ」

マリコの援護に、「わかったか?」とオパールはちらりとスバルを見る。
この店ではスバルよりオパールのほうが序列が上らしい。

「ちっ。猫のくせに……」

ボソッとスバルが呟いた瞬間、オパールの身がひらりと舞った。

ーーーーー ベリッ。

「……………………ってぇー!!!」

スバルの顔にダイブしたオパールは、その鼻先を引っ掻いた。

「ニャニャン♪」

ざまーみろとほくそ笑む顔は、もはや人間のそれと変わらない。

気の毒だと思いつつ……。
マスターとマリコは吹き出した。


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