紅葉伝説殺人事件
ホテルの部屋に戻る前に、マリコは『川村紅葉という女性に会いたい』と母に頼んだ。
いずみとロビーで待っていると、エレベーターから降りた女性がこちらへ向かってきた。
ふくよかな身体を派手なワンピースで包み、大振りなアクセサリーが歩く度に揺れている。
「榊さーん。お待たせしました」
大きな瞳が特徴的で、くるくる変わる表情は何だか憎めない。
「川村さん、呼び出してごめんなさい。娘があなたに会いたいというもので」
「構いませんよ。まぁ…すごい美人さんね。はじめまして、川村紅葉です」
「榊マリコです。この度は母がお世話になりました」
「とんでもない。こちらこそ、こんな旅行に誘ってしまってご迷惑をおかけしました」
「川村さん、そんなことないわ。私も楽しみだったんだもの」
「母さんと川村さんは、講習会で知り合ったのよね?」
「そうよ。たまたま席が隣同士だったの。グループディスカッションなんかで少しずつお話するようになって。川村さんのお名前が“紅葉”だって教えてもらって盛り上がりましたよね?」
「ええ。『紅葉さんが紅葉伝説?』なんて話になって!」
「そうそう!」
キャッキャッと女学生のような二人に、マリコは微笑んだ。
母のこういう姿を見ることは珍しい。
「母さん。本のことも聞かせてくれない?」
マリコはようやく肝心の話を切り出した。
「あの本はね、『紅葉伝説考証』というタイトルの厚い緑色の本よ。著者は…なんていったかしら?」
「どこかの民俗学の教授だったわよね?」
川村が助け舟を出す。
「あ、そうそう。そうだったわ」
「書店で買ったの?」
「川村さんと講習会の帰りに寄った古本屋で見つけたの。ちょうど2冊あったから、二人で買うことにしたのよね」
「ええ。これを持ってフィールドワークに行ったら、気分も上がりそうって」
川村もうなずく。
「その古本屋の名前は覚えてる?」
「家にレシートがあるから、帰れば分かるわよ」
「良かった!それじゃあ、帰ったら見せて」
「いいわよ。さぁ、もういいでしょう?お腹も空いたし、食事にしましょうよ。川村さんも一緒にどう?」
「いいんですか?」
「もちろんよ。ねえ、マリちゃん?」
「ええ!」
3人は夕食をいただくために、ホテルのレストランへ向かった。
翌朝、いずみとマリコが朝食の会場に姿を見せると、気づいた川村が手を上げた。
「川村さん、おはよう」
「おはようございます」
「榊さん、マリコさん、おはようございます。よかったらご一緒にどうですか?」
同じテーブルで朝食を取りつつ、3人は帰りの予定を話し合う。
「川村さんは、どなたがお迎えに来られるの?」
「実は私…もう天涯孤独なの。両親は随分前に他界しているし、結婚もしていないもの」
「そうだったの……」
本人はあっけらからんとしているが、いずみは少し恐縮した様子だ。
「よく分からないけど、警察は、いつでも連絡がとれるようにしておけば帰っていいと言っていたわ」
「良かったわ。それじゃあ、一緒に………」
いずみがそこまで言いかけたところで、マリコのスマホが鳴った。
「ごめんなさい…」
マリコは部屋の隅に移動する。
「はい、榊です」
『おはようございます。長野中央署の鶴井です。昨日はどうも』
「鶴井さん?何か?」
『榊さん、まだホテルですか?』
「ええ」
『良かった!実はですね、このままお帰りいただく訳にはいかなくなりました』
「え?」
『今朝早く絞殺体が発見されましてね。性別は男性。免許証から京都在住の
「京都在住…」
『はい。そして例の遺留品が…』
「まさか、あったんですか!?」
『はい。ばっちりありました。そういう訳なので、もう一度署の方へご足労願います』
「昨夜は私は母とずっと一緒にいましたけれど?」
『……………』
電話の向こうで、鶴井のため息が聞こえた。
『榊さん…』
「やっぱりダメ、ですよね?身内の証言では」
『残念ですが』
「わかりました。今ちょうど、川村さんも一緒に朝食をいただいているところなんです。川村さんにもお伝えしましょうか?」
『そりゃ助かりますな。お願いします』
「はい。それでは、後ほど伺います」
通話を終えると、「さて、どう伝えようか…」とマリコもまたため息を落とした。