紅葉伝説殺人事件



二人が長野中央警察署の刑事課を訪ねると、一人の中年の男性が対応に現れた。
小柄で恰幅がよく柔和な顔つきだが、一課の刑事らしく眼光は鋭い。

「どうも、鶴井つるいです」

「榊です。この度は母がお世話になりました」

「お引き合わせする前に、榊さんからも少しお話を聞かせてもらえますか?」

「はい」

「では、こちらへ。…おっと、そちらの目つきが鋭い刑事さんは付き添いですかな?」

土門は苦笑した。
なかなか老獪な相手のようだ。

「京都府警捜査一課の土門です。今日はこいつの運転手でやってきました」

「それは、それは。遠いところをご苦労さまです。土門さんもご一緒にどうぞ」

鶴井に案内されて、二人は会議室に通された。
そこにはすでに一人の男性が座っていた。

「こちらは捜査一課の千津川せんづがわ警部です」

千津川は軽く頭を下げる。
長身でしなやかな印象だ。
キビキビとした姿勢からは自信が伺える。
こちらも相当の切れ者だろう。

「警部。こちらが榊さんと、その運転手の土門さんです」

「運転手?」

千津川は訝しげな表情を見せるが、鶴井の笑った顔を見て全てを察したようだ。

「お忙しいところ、長野まですみません。どうぞお掛けください」

二人は千津川の向かいに腰掛けた。

「今お茶を持ってきましょう」

鶴井は一旦、席を外した。

「まずは事件について、説明しましょう」

「ぜひ、お願いします」

マリコの返事に、千津川は頷いた。

「実は先月、一人の男性が絞殺体で発見されました。名前は富士川優馬ふじかわゆうま、31歳。彼は市内の高校で、国語教師をしていました。身元や死因は早くから判明していたものの、深夜、人気のない農道で殺害されたため、目撃者は見つかっていません。現在も事件は未解決のままです」

二人は黙って千津川の話に耳を傾ける。

「そんな折、また別の絞殺体が発見されました。一昨日のことです。被害者は興透おきとおる、36歳。同じく男性。この被害者は地元スーパーの店長でした…」

「おまちどおさま」

お盆を手に、鶴井が戻ってきた。
全員の前にお茶を置くと、千津川の隣の椅子にどっかりと腰を落ち着けた。

「そこから先は、私がご説明しましょう。興の遺体は、彼の務めるスーパーの店内で発見されました。閉店後だったこともあり、こちらも目撃者はまだ見つかっていません。ただ今回は、手がかりになりそうな遺留品がありましてね」

「何ですか?」

マリコは身を乗り出す。

「本ですよ」

「本?」

「そうです。遺体の側に紅葉伝説に関する分厚い本が置かれていました」

「紅葉伝説……確か、この地方に伝わる有名な伝説でしたね」



《紅葉伝説》とは…。

今から約千年の昔、会津の夫婦が六天の魔王に祈って呉葉くれはという美しい娘を授かった。
都にのぼった呉葉は紅葉もみじと名を変える。
紅葉の美しさはたちまち評判となり、源氏の棟梁、源経基みなもとのつねもとの側室として寵愛を受けた。
ところが経基の御台所みだいどころが病に倒れると、「紅葉が呪い祈祷している」と噂が立ち、ついに信州戸隠に流されてしまった。

しかしそこでも紅葉は、その美しさと教養から村人たちに敬愛され、大切にされた。
都をしのんで暮らす紅葉であったが、経基や都への思いは消えず、再び上京しようと戸隠の荒倉山の岩屋に移り住みます。
そして、いつしか盗賊たちの首領となり、人々から鬼女と恐れられるようになる。

その噂が都に伝わると、帝は、平維茂たいらのこれもちに鬼女討伐を命じた。
初戦は鬼の形相となった紅葉の妖術に敗退した維茂であったが、別所北向観音より授かった、降魔ごうまの剣でついに紅葉を討ち取ったのだった。
維茂は鬼無里に地蔵尊を祀り、紅葉の菩提を弔った。



「ほぉ。よくご存知ですな。その通りです。実はその伝説に関する本が、今回問題となったんです」

「というと?」

千津川と鶴井は顔を見合わせた。

「あったんですよ…」

「?」

「同じ本が高校教師の富士川の遺体の側にも!」

「「えっ!?」」

土門とマリコは同時に驚愕した。

「当初は富士川が国語教師だったため、その本の存在を特に気にも留めませんでした。しかし、スーパーの店長となれば話は別です。立て続けに男性二人、殺害方法も同じなら、目撃者がいない時間や場所を選ぶのも一緒。そして奇妙な遺留品まで。これは偶然とは呼べんでしょう…」

鶴井の後を、今度は千津川が引き継ぐ。

「我々は2件を連続殺人事件として捜査を始めました。手始めに遺留品の本について入手経路を調べていたところ、この本に盗難届が出ていることが分かりました。なんでも有名な教授の文学書で、一冊1万円近い高価なものだったらしいんです。盗難届けを出したのは旅行中の女性二人組。二人ともに同じ本を持っていて、2冊とも盗まれたと訴えています」

「まさか、その旅行客というのは…」

「そう。お一人はあなたのお母さま。榊いずみさんです」

「母さん……」

マリコはため息をつく。

「もう一人の女性というのは?」

土門がマリコの代わりにたずねる。

川村紅葉かわむらもみじさんと仰るのですが、ご存知ですかな?」

鶴井はマリコの顔を見るが、マリコは首を振る。

「いいえ。知りません。名前も聞いたことがないわ」

「そうですか…」

ふむ、と鶴井は顎を撫でる。

「あなたのお母さまも川村さんも、事件への関与は否定しておられます。本は盗まれ、被害者とは面識もない、と。しかし2件目の被害者の本から、お母さまの指紋が検出されました。この事実がある以上、我々としてはお母さまが無関係だと断定はできない。無罪放免とはいかないのです。あなた方なら分かっていただけるでしょう」

千津川の言い分はもっともだ。
土門もマリコも、ここは頷くしかない。
実際に土門も同じ立場だったら、いずみへの疑いを捨てることはしないだろう。
 
「それで、母はどうなるのでしょう?」

「電話でもお伝えした通り、お母さまは帰宅を希望されています。本来ならもうしばらくホテルに留め置くところですが、我々としてはあなたが身元引受人となるのなら、帰宅を認めます。ただし、必ず我々と連絡が取れるようにしてください。もちろん、あなたもです」

「分かりました。ご面倒をおかけしてすみません」

マリコは二人の刑事に頭を下げた。



3/14ページ