紅葉伝説殺人事件
京都府警へ戻ると、二人はその足で藤倉のもとへ向かった。
「榊、今回は災難だったな」
「すみません、休暇が長引いてしまいました」
「構わん。長野県警から正式に捜査依頼があったからな。二人とも出張扱いにしてある」
「「ありがとうございます」」
「ところでな。ついさっき、須藤組の若いのが大量の覚醒剤を持って出頭してきた」
「え?」
「瓜生が付き添って来てな。『須藤組では薬は厳禁にしている。こいつは、それを破った。後は煮るなり焼くなりご自由に』だそうだ」
そういうと、藤倉は出頭してきた男の写真を二人に見せた。
「こいつは…」
その男は、先日土門に蹴りかかろうとしていたチンピラだ。
「先手を打たれたな。須藤のやつ、これで借りを返したつもりだろうが、これじゃあ、もうガサ入れはできないな」
土門は悔しそうに吐き捨てる。
「あいかわらず抜け目のない男だ。もっともそれだから、あの大所帯を背負っていけるんだろう」
藤倉も苦い表情だ。
「保科の件は?」
土門は駄目もとで藤倉にたずねた。
「こっちも本人が何かをしたという証拠はないからな。手も足も出せん。もっとも今度の件で、須藤もしばらくは大人しくするだろう」
トカゲのしっぽ切りという幕引きに釈然としないものはあるが、3件の殺人事件が解決したことは朗報だ。
実際、佐伯本部長もその事件に京都府警が貢献したことで、上からお褒めの言葉を賜ったらしく、今朝からほくほく顔だという。
「須藤組のことはこれからも注視していく必要はあるが、一端事件は幕引きだ。二人ともご苦労だった。下がっていいぞ」
「はい」
「失礼します」
刑事部長室を後にした二人は、自然とその足を屋上へ向けた。
この数日朝夕の冷え込みが大きかったためか、以前より一層木々は色づき、眼下の町並みは紅葉一色だ。
「おお、絶景だな。あの晩みたいじゃないか?」
「そうね」
アカデミー賞ばりの演技女優は笑って答えた。
「そういえば、お袋さんのボランティアは上手くいってるのか?」
「楽しそうよ。昨日写真が送られてきたわ。ほら」
マリコが見せたスマホには、いずみと紅葉が来館者と並んでピースサインをしている写真が映し出されていた。
「さ、さすが…お前のお袋さんだな」
「それって褒め言葉よね?」
「あ、当たり前だ」
それにしても…と土門は思考を変える。
母親だけでなく、父親も一筋縄ではいないことを先日の電話で再認識した。
横浜行きの案件も、そう遠くないうちに熟考しなければならないだろう。
どうマリコに切り出すか…。
土門に新たな悩みの種が生まれた。
「何か気になるけど、まあ、いいわ。こっちの紅葉さんは元気そうだけど、もう一人の紅葉さんはどうなのかしらね?」
「ん?須藤と元の鞘に収まったんじゃないか。俺が奴のことを知ってから随分経つが、女の名前は保科しか聞いたことがない」
「ふうん。案外一途なんだ」
「あいつも俺と同じ昭和の男だからな」
「へえ。それじゃあ土門さんも一途なの?」
「いつだって一途に思い続けてるじゃないか、誰かさんのことを」
ちらりとマリコを見たあとで、『もしかしたら…』と土門は続けた。
「鬼女伝説も真実は違うのかも知れないな」
「どういう意味?」
「基経は紅葉を討伐しようとしたんじゃなくて、維茂に紅葉を迎えに行かせたのかもしれない」
「迎えに?」
「ああ。一途に忘れられなかったのは基経も同じだったのかもしれん。須藤のようにな………」
伝説とは、時の権力者にとって都合の良いように事実を捻じ曲げて伝えられることが多い。
「本当は基経と紅葉は、離れてもなお強く惹かれ合っていたのかもしれない」
その情熱は、一面に赤く燃えるこの紅葉のように。
土門にはそんな風に感じられた。
「私は…。私は土門さんの説を信じるわ」
「榊?」
「だってロマンチックだもの」
「ぶっ!」
「な、なによっ」
「お前の口から“ロマンチック”なんて単語が飛び出すとはな」
むくれるマリコを前にして、ひとしきり土門は笑い続けた。
「もぉー!」
「すまん、すまん」
なおも笑いを噛み殺しながら、土門は腕時計を確認した。
「それじゃあ、そろそろ。俺たちもロマンチックな時間を過ごしに行くか?」
「え?」
「約束、したよな?戻ったら……」
ふいに真面目な顔に戻った土門に、マリコはドキッと鼓動が跳ね上がった。
肩を抱かれて屋上を出ていく一瞬、マリコは振り返る。
夕焼けをバックに一層赤く映える京の町。
それを反射したマリコの頬にも茜が射した。
顔を戻したマリコは、土門に寄り添う。
重なる足音は扉の向こうへと、次第に遠ざかっていった。
そして、人影の消えた屋上にはーーーーー。
赤き楓の舞い落ちたる。
ただ、
fin.
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