紅葉伝説殺人事件



結局いずみは川村とともに、迎えに来た伊知郎の車で帰って行った。
まさか妻だけでなく娘と知人の刑事まで長野にいるとは思わず、伊知郎は着いた途端に目を丸くしていた。
だがマリコと土門がいるということで、どうやら妻も何かしら事件に関与していたらしいことには気づいたようだ。
それに対しては大層不満気だったが、いずみの同行者が川村という女性であったことを知り、ほっとしていた。
きっと事件のことでいずみを問い詰めようとしても、浮気を疑った罪で相殺、もしくはそれ以上に何かプレゼントさせられるに違いない。


「さあ、土門さん。行きましょう」

「ああ、千津川警部たちと合流だ」




土門とマリコ、長野県警の一行は保科の宿泊先のホテルを訪れた。
ホテルマンに警察手帳を提示し、保科を呼び出してもらった。

ラウンジで待つこと10分。
エレベーターから一人の女が現れた。
女はラウンジに向かって歩いてくる。
ところがその途中で、黒い人影が立ちはだかる。
女と人影はその場で何か言い争いを始めた。

「あれは……須藤だ!」

土門が気づき、立ち上がる。
千津川も遅れて気づくと、二人は男女のもとへ向かった。

「須藤!」

土門は須藤の肩を掴むと、女から遠ざけた。

「誰だ!あんた、土門さん!?」

「こんな人目のあるところで何してやがる!落ちつけ!瓜生は?連れていないのか?」

「瓜生は車で待っている」

「お前、保科を拉致でもするつもりだったのか?」

女…保科は土門のセリフに目を見開いた。

「とにかく、場所を変えよう。保科、お前の部屋に邪魔していいか?」

保科は血の気の引いた顔で頷くと、再びエレベーターへと向かう。
マリコと鶴井が追いつき、他の捜査員はその場で待機となった。



部屋へ着くなり、須藤は保科に詰め寄った。

「説明しろ、紅葉。あの稲葉とかいうガキを使って何をしていた?」

「……………」

「何をしていた?言えないのかっ!」

さすがの一喝に、保科も慄いた。
しかしすぐに呆れたように笑いだした。

「何よ。須藤組の組長ともあろう人が声を荒げて、みっともない」

「何だと?」

「あんな若い女にうつつを抜かしているから、稲葉みたいなくだらない男のことにも気づかないのよ!昔のあなたなら、もっと組の端々にまで目を光らせていたじゃない!」

「紅葉。俺はお前には目を掛けていたはずだ。恩を仇で返される謂れはない」

「目を掛けていた?玩具にしていた、の間違いでしょう?飽きたらポイ捨てだった癖に!」

「それはお前の誤解だ」

「じゃあ、あの女は何なのよ。あなたの家に勝手に上がり込んで、まるで奥様気取りで家中を仕切って。一緒に暮らしているんでしょう?」

「ああ、そうだ」

「ほらっ!」

「お前のいう若い女。あいつがうちに住むのは当然だ。俺の娘だからな」

「えっ!?娘って…。そんな話、聞いたこと……」

「誰にも言っていないからな。学生の頃付き合っていた堅気の女との間にできた子供だ。彼女との約束で、ずっと俺の存在は隠していた。だが2カ月前に彼女が病気で亡くなった。彼女の遺書に俺のことが書いてあったそうだ」

「そ、ん、な……」

「あいつはごく普通の女子大生だ。これから先もこの世界に足を入れさせるつもりはない。だから名字も母方の姓のままだし、俺との関係も伏せている。一緒に暮らすのも大学の間だけだ。学校がうちから近いからな」

そこまで一気にしゃべると、須藤は冷ややかな目を保科に向けた。
仕事上でも、プライベートでも裏切られたのではないか。
その目には情念の影が見え隠れしている。

「それで、紅葉。お前はここ数日何をしていた?」

「待て、須藤。お前は誤解しているぞ」

険悪な雰囲気に割って入ったのは土門だ。

「お前が気にしているのは薬の行方だろう?保科は何も知らない。横流しをしていたのは、稲葉と赤城という一般人だ」

「赤城…?」

保科は何か引っかかるのか、首を捻っている。

「一度会ったことがあるんじゃないか?ほら」

土門は二人に須藤組で撮られた写真を見せた。

「この男!」
「こいつかっ!」

どうやら二人とも記憶はあるらしい。

「名前も知らん下っ端と、こんなヤツにいいように騙されていたとはな」

須藤は憎々し気に写真の二人を睨みつける。

「私が稲葉に調査を頼んだのよ。だけどまさかその稲葉が…。そう思ったら、自分がみっともなくて」

「紅葉?」

「あなたには捨てられるわ。こんな若い男には騙されるわ。私はもう何の価値もない人間よ。せめて組の醜聞にはならないように、稲葉と話をつけようと思って来たの。そうしたら稲葉は殺されているし、もう何が何だか……」

保科は頭を抱える。

「それであんなモノを持ち歩いているのか?」

土門は寝室の鏡台に無造作に置かれたサバイバルナイフを指さす。

「それは!」

「さっさと片付けるんだな。ここには俺たちがいるんだぞ」

「土門さん。あんた…」

須藤は土門の顔を凝視する。

「須藤、お前もだ。殺人事件には関係なくても、覚せい剤については聞きたいことがある」

「さて、なんの話だ?」

この期に及んで、須藤はしらを切る。

「俺の組は薬に手を出しちゃいない。嘘だと思うならガサ入れでも何でもしてくれ」

「ふん!お前のことだ。もうどこかへ運んだ後だろうよ」

須藤はニヤリと笑い、否定しない。

「紅葉。帰るぞ」

須藤はついでのように言い放つ。

「え?」

「他に帰る場所があるのか?」

「……………」

「いくら同じ名前だからって、お前まで鬼女と同じ運命を辿る必要はない」

この地で降魔の剣に屠られた美しき鬼。

「戻ってこい」

そういうと、須藤はもう振り返らず部屋を出ていく。

保科は呆然とその後ろ姿を見送る。

「保科、瓜生が駐車場にいる。早く行け!」

保科は弾かれたように走りだした。
未だ惚れ続けている男の背中を追って。



「土門さん。なかなかの名裁きでしたな」

「鶴井さん!千津川さんもすみません。勝手なことをして」

「いいえ。構いませんよ。私も名裁きだと思います。この貸しを無視して逃亡するような連中ではないでしょう。未だ仁義と誇りを大切にする人種のようだ。これ以上の解決方法はなかったでしょう。お疲れさまでした」

千津川は、土門とマリコへ頭を下げる。

「「ありがとうございます」」

二人も千津川へ返礼した。

「さあ、我々は赤城の取り調べです。土門さんと榊さんは、今度は京都で忙しくなりますね」

「はい」

「名残惜しいですが、ここで別れましょう。部下に駅まで送らせます」

「ありがとうございます。ですが榊の荷物もありますし、自分たちで戻るので大丈夫です」

「ああ。そうでしたね。それではここで」

「二人とも、今度はのんびり蕎麦でも食べに来てくださいよ」

鶴井は「いい店予約しますよ!」と笑って手をふる。

「はい」
「是非!」

千津川と鶴井に挨拶を済ますと、二人は一足先にホテルを去った。


12/14ページ