紅葉伝説殺人事件
『のぞみ』と『ワイドビューしなの』を乗り継ぎ長野駅に到着すると、すでに北本刑事が待機していた。
「お疲れさまです」
「北本、すぐに病院へ」
「はい!」
赤城の意識は戻ったものの未だ混濁が見られるということで、面会は二人まで、10分間と医師から厳命された。
千津川と土門が病室へ入ると、赤城は土気色の顔をして灰色の濁った目で来訪者を見つめた。
「長野県警の千津川です。分かりますか?」
赤城は小さく頷いた。
千津川はベッドに備え付けられているテーブルに写真を並べた。
富士川優馬、興透、稲葉珀人。
「この3人と君との関係を知りたい」
赤城は急におどおどと視線を泳がせる。
明らかに何か知っているのだ。
「赤城、保科が長野へ向かっているぞ?」
土門はカマを掛けた。
『保科』という名前に反応し、赤城はカタカタと震えだした。
「た、助けて、助けてくれ!」
「……………」
千津川と土門は顔を見合わせた。
「警護をつけるか?」
「た、頼む…」
「だったら知っていることを全て話せ」
赤城は観念したのか、千津川の交換条件を受け入れた。
しかし10分間で聞き出せることはそう多くなく、それでも千津川と土門は赤城の話を補填しながら、粗方事件の真相に近づくことができた。
さらに長野中央署へ移動する車の中で、鶴井、北本を加えた即席の捜査会議により事件の道筋を一本に絞り上げた。
県警へ戻ると、すでにマリコたちは会議室で待っていた。
戻る道中で土門が呼び出していたのだ。
「土門さん。何か分かったの?」
「ああ。今から順に説明する」
マリコは頷いた。
相関図の書かれたホワイトボードの前で千津川が説明を始めた。
「結論からいうと、富士川、興、稲葉の3名を殺害したのはこの人物でした」
そういって千津川は一人の写真を指さした。
「ねえ、榊さん。あの人…」
「ええ。図書館で見たわよね?」
いずみと川村がひそひそと話しあう。
「そうなんですよ、お二人とも!」
千津川の声に、二人は叱られたかのように肩を竦めた。
「この男は赤城
「え!」
「この人が!?」
二人は驚いている。
「千津川警部、どういうことでしょう?」
見かねたマリコが声を上げた。
「この事件は、恐らく京都の須藤組が保有する覚せい剤の売買が発端です。須藤組の構成員だった稲葉は、SNSで偶然知り合った赤城を介して個人的に長野で覚せい剤の販売を計画した…」
「長野なら京都から離れているし、見つかりにくいと踏んだんでしょうな」
「覚せい剤を調達するのが稲葉の役目、売人を見つけ稲葉とのつなぎをするのが赤城の役割だったそうです。そこで赤城はまず図書館の常連だった教師の富士川に目を付けた。大金をちらつかせ、赤城は富士川に生徒たちへ薬を売らせた。はじめは数人だった買い手も今では他校にまで広がっているそうです」
「なんてこと…」
マリコは衝撃を受けた。
「しかしそうして買い手が増え、利益が上がってくるようになると、赤城は次第に自分の取り分に不満を持つようになった。稲葉には内密に売人を増やせばもっと金が手に入ると考えた。そこで登場するのが、例の本です」
いずみと川村は耳をそばだてた。
「赤城はあの『紅葉伝説考証』という本を取引の割り符のように使うことを考えました。売人にこの本を渡し、以降は顔を合わすことなくこの本を利用して薬の横流しを行っていたそうです」
「売人から赤城のもとへこの本が届くと、赤城はこの本に覚せい剤を挟み、売人へ送り返していたそうだ」
土門が二人にも分かりやすいように、言い添えた。
「少しでも多く薬を売りたい赤城は、売人を増やした。それに伴って割り符の本も増やす必要がある。図書館にある分は確保していたが、できればもう数冊欲しい…そう思っていたところに、お二人が現れたそうです」
「私、たち?」
「図書館であの本を広げるあなた方を見つけて、すぐに本を盗む計画を立てたそうです。そして盗んだ本から売人へ送ったと赤城は話していました」
「だから興さんの本には母さんの指紋がついていたのね…。でもそれだと、川村さんの本を稲葉さんが持っていたのはなぜ?」
やはり、すぐにマリコは気づいた。
「稲葉が覚せい剤の減る量がおかしいと気づいたんだ。赤城は売人が増えた分、一回に売る薬の量を半分に減らしたらしいが、それでも買い手が増える勢いの方が上回り、さすがに稲葉も気づいたらしい。赤城を訪ねてきたそうだ。多分その時に証拠として持ち出した本が川村さんのものだったんだろう」
「じゃあ、稲葉さんは赤城さんを問い詰めたから…」
「ああ。殺害しちまったそうだ。赤城が自白したよ」
「まあ…」
土門とマリコの会話を聞き、川村はため息をついた。
川村はずっと若い稲葉が殺害されたことを、気に病んでいたのだ。
「でも、待って。稲葉さんはどうして本の存在に…。あ!富士川さんと興さん?」
マリコの質問に、今度は千津川が答えた。
「ええ、そうです。稲葉は赤城を問い詰める前に、赤城が薬を卸していた売人たちと接触していました。富士川と興は稲葉から話を聞き、赤城が上前の大部分を搾取していることを知った。それに腹を立てた二人はそれぞれ赤城を人気のない場所へ呼び出した…。嘘か本当かは分からないが、富士川と興は自分を殺そうとしていたと赤城は言っていました。襲われたから反撃したまでだ。正当防衛だと。その辺りの真偽は現場検証の結果待ちとなるでしょうが」
「そうですね。ところで残りの2冊の本は見つかったんですか?」
「赤城の部屋のクローゼットから見つかりました。それにしてもなぜこの本だったのでしょう。高価で特殊なうえに、出版数も少ないですからね。真似されにくいのは分かりますが、この本でなければならない理由があったのか…」
千津川はしきりに首を捻っている。
もしかしたら…と、マリコは一つの可能性に思い至った。
「赤城は売人とのやり取りを郵送で行っていたんですよね?」
「ええ」
「本のサイズや重さではないでしょうか」
「サイズ?重さ?」
「はい。最近ではサイズや重量の規格を守れば、宅急便より低額で荷物を送るサービスがあります。あの本はその規格のサイズや重さにちょうど良かったのではないでしょうか。サイズがぴったりなら薬の袋が動いて破れるような心配もない。手触りからして書籍と分かれば、郵便局員にも不信感は持たれにくい。それに手渡しではなく、ポスト投函もできるそうですよ。それなら極力人との接触を避けられます」
「なるほど…」
鶴井は腕を組み、しきりに感心している。
「あのぉ…」
周囲を伺うようにいずみが声を上げた。
「どうしたの、母さん?」
「事件の犯人が分かったのなら、私たちの疑いは晴れたんですよね?もう帰ってもいいんですよね?」
「はい。お二人には本当にご不便をおかけしました。申し訳ない」
千津川はいずみと川村に頭を下げた。
「いいえ。それでしたらお話の途中ですけれど、退室させてもらってもよろしいですか?」
「母さん?」
突然どうしたのかと、マリコは母に問いかけた。
「あのね、マリちゃん…」
いずみは部屋の隅へマリコを引っ張っていくと、小声で話し始めた。
「父さんが出張から帰って来たらしいの。それで心配して、着信がこんなに…」
着信履歴には伊知郎の名前がずらりと並んでいる。
「ここに着いたときにマナーモードにしたから、気づかなかったのよ。さっきまだ長野にいるって返信したら、今から迎えにくるって…」
「今回のこと、本当に父さんに連絡してなかったの?」
「ええ」
「……………」
マリコは呆れた。
滞在が伸びた時点で、てっきり父へ連絡をしていたものだと思っていた。
「どうしよう…」
「どうしようって…」
マリコが振り返ると、捜査会議は一端中断し、皆が休憩しているところだった。
マリコは千津川へ近寄ると、今の話をかいつまんで伝えた。
「構いませんよ。榊さんもご一緒に?」
「いえ、私は……」
言いかけて、振り返る。
先ほどからマリコは背後によく知る人の気配を感じていた。
「土門さんと一緒に戻ります」
「失礼ですが………お二人は?」
このような場で聞くことではないとも思ったが、千津川の好奇心がどうにも疼いた。
「こいつは今帰れと言っても、絶対に帰りませんよ」
土門は苦虫を潰したような顔でマリコを見る。
「だってあと一か所、行くところが残っているでしょう?」
「保科のところか?ついてくるつもりか?」
「当たり前よ。もう留守番はこりごり」
「そういうわけです。いいでしょうか?」
土門は苦笑しながら、千津川へたずね返した。
答えははぐらかされてしまったが、千津川はいつの間にかこの二人に好意を抱いていた。
個々の能力だけでも申し分ないが、タッグを組めば乗数の効果を発揮する。
ベストパートナーなのだろう。
「もちろんですよ!」
「ありがとうございます」
マリコはにっこりと微笑んだ。