ただひとり、貴方だけ
週始めの月曜日、土門は刑事部長室に呼び出されていた。
「急な人事だが、1ヶ月限定だ。……よろしく頼む」
珍しく藤倉の歯切れが悪い。
「………はい」
土門もまたしかり。
その土門の手には一枚の身上調書が握られている。
そこに書かれた氏名は
階級は巡査部長だが、父親の欄には、奈良県警、浅野警視正の名前が記されていた。
「お守りってことですか?」
蒲原が心底嫌そうに、土門へ尋ねる。
「そう、見も蓋もない言い方はするな。刑事部長の話では、父親の反対を押しきって、本人が希望したらしい。見込みあるかもしれんぞ?」
「どちらにしても1ヶ月では…」
「そうだな。あまり大きな事件が起こらないことを祈るだけだ」
翌日、府警内は浅野みやびの話題で持ちきりだった。
『キャリアの娘』と色眼鏡で興味を示す者がほとんどだ。
しかし、当の本人は周囲の視線も噂話も特に気にした様子はなく、藤倉の後について捜査一課へ挨拶にやって来た。
地味なネイビーのスーツにローヒールを履き、髪も一括りにしている。
TPOをわきまえた、派手さとは対極にいるその姿に、土門は好ましさを覚えた。
「土門、蒲原」
藤倉に呼ばれ、二人はみやびの前に立つ。
「浅野、土門警部補と蒲原巡査部長だ。今日から1ヶ月、君の直属の上司になる」
みやびは一歩前に進み出ると、
「本日よりお世話になります、浅野みやび巡査部長です。よろしくお願いします」
ピシリと敬礼し、挨拶する。
「土門だ。よろしく頼む」
「蒲原です。よろしくお願いします」
土門は軽く頷き、蒲原は会釈を返した。
「では、後は頼んだぞ」
その様子を確認し、藤倉は土門を一瞥すると捜査一課をあとにした。
「浅野。今は捜査本部が立つような事件はない。俺たちは溜まった資料の作成と整理中だ。その手伝いをしてもらうことになるが、いいか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
茶色味を帯びた大きな瞳が土門をとらえる。
「……」
その瞳は土門に彼女の面影を思い起こさせた。
腕時計で時刻を確認する。
「すまんが、ちょっと出てくる」
蒲原とみやびに資料の作成を任せ、土門は部屋を出ていった。
「あの、土門刑事はどちらへ?」
「ああ、この時間なら屋上じゃないかな?」
「屋上…そうですか」
みやびは今まで土門が座っていたデスクを見る。
半年前、みやびが奈良県警に勤務していたとき、合同捜査で奈良に来ていた土門を見かけた。
迅速な判断と、的確な指示、他人まかせにはせず自分も率先して動く、そんな土門を慕う若い刑事は多くいた。
もちろんみやびもその一人で、彼と一緒に働きたい、彼のパートナーとして隣に居たいと秘かに願っていた。
しかしその後、京都府警で働く同期の友人から、土門は科捜研の女性と付き合っているらしいと教えられた。
でも、らしい、というなら違う可能性だってある…それに賭けたみやびは父親に頼み込み、1カ月の捜査員交流という形で京都府警にやってきた。
「よぉ、休憩か?」
やはり屋上にマリコはいた。
「土門さんも?」
小さく首を傾げて、マリコはいたずらっぽい瞳を向けた。
「ああ。……それ、一口くれ」
マリコの手の中の缶コーヒーを目でねだる。
「甘いわよ?」
「かまわん」
マリコからコーヒーを受けとって口をつける。
「………甘い」
「だから言ったでしょう?…って、全部飲んじゃったの!?」
もぉー!とマリコは頬を膨らませる。
「すまん。あとで差し入れ届けてやる。何がいい?」
「いいわよ。今、忙しいんでしょ?」
「?…事件は抱えてないぞ?」
「みんなが噂してたわ。土門さんが、お偉いさんの娘のお守りを押しつけられたって」
「浅野のことか……。1ヶ月だけだ。それに、噂のような浮かれたお嬢さんでもなさそうだぞ?今度、科捜研へも挨拶に連れていくから、自分の目で確かめてみろ」
「……そう。分かったわ」
土門が意外にもみやびのことを買っているらしいと分かり、マリコはすこし驚いた。
いずれにしても後で会えばわかるだろうと、マリコは現在鑑定中の作業へ頭を切り変える。
「………き。おい、榊」
「あっ……。何?土門さん」
「鑑定が気になるなら、戻ったらどうだ?」
「………ごめんなさい」
「気にするな。いつものことだ」
土門は眉を上げて答える。
「いつもって……あっ」
白衣のポケットの中でスマホが震えた。
「呼び出しか?」
「ええ。先に戻るわ」
土門が返事の代わりに手を挙げると、マリコはスマホを耳にあて踵を返した。
土門が一課へ戻ると、蒲原とみやびが資料をファイリングしていた。
「すまんな。少しは進んだか?」
「土門さん、見てください!この文書、浅野さんが全部打ち込んでくれました。あとは刑事部長の判待ちです」
蒲原が興奮気味に、資料の山を指差す。
「全部か!?……すごいな!浅野、助かった」
「いえ。自分は事務作業が得意なので……」
土門が笑顔で礼を述べると、みやびは恥ずかしそうにうつ向いてしまった。
そんなみやびの様子に土門は気づかなかったようだが、蒲原はおや?と何かを感じとっていた。
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