『幸せになってください』

写真でしか見たことのないその人は、去り際、マリコへ深々と頭をさげた。
自分がなし得なかったことを、マリコへ託す。

『どうか、あの人と幸せになってください。あなたが幸せであることが、あの人の幸せだから』

「有雨子さん…」

そこでマリコは目覚めた。



この日、マリコは土門に連れられ、初めて有雨子の墓参りをした。
土門は墓の周りの雑草を抜き、溜まった汚れを洗い流しながら、亡き妻へ言葉少なに訥々と近況を報告していた。
マリコは黙って、土門の隣で掃除を手伝っていた。

やがてお線香の準備を始める頃、マリコは名前を呼ばれた。

「なに？」

「こっちに来てくれ」

マリコは有雨子の墓前に土門と並んだ。

「有雨子、榊だ。お前に会わせたくて連れてきた」

そう言うと、土門はきゅっとマリコの手を握った。

「有雨子。俺は榊と一緒になるよ。誤解やすれ違いでお前を幸せにできなかった分も、必ずこいつを幸せにする」

マリコは視界が掠れて何も見えなかった。




「どうした？」

ふいにかかった声に、マリコは顔を上げた。
マリコの隣には、前方を向いたままステアリングを握る土門の姿があった。

そうだった、とマリコは思い出す。
有雨子の墓参りを終え、今は土門の運転する車で帰路の途中だったのだ。

「気分が悪いのか？」

「え？」

土門はハザードをつけると脇に車を停めた。
そしてすっと腕を伸ばすと、マリコの頬を撫でた。

「泣いていたのか？」

マリコは自分でも頬に触れてみた。
確かに、幾筋かの涙の跡がついていた。

「気分は悪くないわ。大丈夫よ」

「そうか？なあ、ちょっと降りてみないか」

「え？」

「ほら」

土門が駐車した場所は見晴台のようになっていた。
夜だったからどこを走っているのか…マリコはわかっていなかったのだ。

「わぁ…」

見上げれば、360度大パノラマの星空。

「すごいな……」

二人ともそれ以上言葉が出ない。
人が本当に感動したときは、そんなものなのかもしれない。

「さっきの話だが」

「さっき？」

マリコは夜空から土門へ視線を向けた。

「俺はそうするつもりだ。もう有雨子にも報告したしな。あとはお前の返事だけだ」

――――― 俺は榊と一緒になるよ。

「私の…返事？」

「ああ。できればいい返事を聞きたい」

「私、私は……」

『幸せになってください』
夢の中で聞いた有雨子の言葉が頭を過る。

「幸せになってください」

「榊？」

「そう言われたの。夢の中で有雨子さんに。だから私は幸せになりたいわ」

「俺がお前を幸せにする。有雨子にも誓ったように」

「ほんとう？」

「ああ」

「後で嘘だった、なんて言えないわよ。だって」

マリコは両手を広げる。

「こんなに沢山の星たちが聞いているんだもの！」

「嘘じゃない。この命ある限り、お前を守り、幸せにしてみせるさ」

土門は夜空の星に届けとばかりに声を張り上げた。


「榊。お前を幸せしたい。いや、させてくれ。俺に」

「そうしたら、土門さんも幸せになれる？」

「俺はお前が側に居てくれるなら、いつだって幸せだ！」

そういって、一点の曇りもない清々しい笑顔を見せる。

なんて真っ直ぐな人だろう。
なんて笑顔のきれいな人だろう。
なんて。
なんて。

溢れ出す思いのまま、マリコは頷いた。
すると土門は嬉しそうに笑いながら、そっとマリコに近づく。

星たちの見守る中、愛しい人の笑顔を目に焼き付けると、マリコの濡れた睫毛がゆっくりと下を向いた。



fin.