樹ダイアリー
マリコはゆっくり、少しだけ震える手でノートを繰る。
一番最初の付箋が貼られたページには、マリコが祖父江教授の研究室を訪ねた日のことが書かれていた。
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私の研究室は、いわゆる3Kに分類される。
入室希望者はおろか、関係者以外が訪れることは、まずない。
そんな私の研究室に、「入室希望者がやって来た」と研究生に聞いたときには驚いた。
しかも染色体がXXだという。
私は研究室を間違えたのだろうと、相手にしなかった。
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「この『XX』ってお前のことか?」
「そう、みたいね。教授らしい表現の仕方だわ。女性の染色体はXXだから。私が入るまで、教授の研究室は男性だけだったもの。教授は私のこと、最初は名前すら覚えてくれなかったのよ」
フフフッとマリコはどこか楽しそうだ。
続けてページをめくる。
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何ということだ!
例の染色体XXがまたやってきたという。
よほどの変人か?
研究生が「新人は募集していない」と伝えると、「だったら見学だけでもさせて欲しい」と食い下がり、2時間近く問答が続いたそうだ。
彼は、いよいよ私に泣きついた。
自分の手には負えません、と。
次は私が対応する旨を約束した。
少し、興味が湧いたことは事実である。
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「お前…、学生の頃からこんなことしてたのか?」
「2時間は言いがかりね。1時間半ぐらいだったはずよ」
土門の眉が跳ね上がる。
「五十歩百歩だろう………」
「何か言った?」
「いや。続きを読んでみたらどうだ?」
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染色体XXと対面する。
どうやら本気でこの研究室に入りたいらしい。
XXは熱意溢れる眼差しをしていた。
最近にしては珍しい“科学バカ”だと踏んだ。
だが、似ている。
若い頃の自分に…。
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数日後の日記には。
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しばらく悩んだが、XXを受け入れることに決めた。
久しぶりに胸が高鳴る。
この感覚には覚えがある。
何か面白い発見がある前触れだ。
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土門はマリコの背後で吹き出した。
「なあに?」
「いや…」
この頃の祖父江教授は、完全にマリコを興味深い新しい実験対象としか見ていないようだ。
それはマリコにも覚えがあるのだろう。
「今でも覚えているわ。入室許可がもらえた日、私はとても嬉しくて弾んだ気持ちで祖父江教授の研究室に行ったの。そうしたら、教授は『こちらが諸君らの新たな研究課題だ。よろしく頼む』って私のことを皆に紹介したのよ!」
「な、なかなか、個性的?な人物だな…」
土門は何とか笑いを噛み殺そうと、変な顔をしている。
「ほんと、酷いわよね!」
むくれるものの、その声には懐かしさと、別の何かが織り混ざったような感情を含んでいた。
「先に進めてみよう」
「ええ…」
そこから暫くは、科学者の卵としてのマリコの評価や、小さな出来事がいくつか記されていた。
「あら?」
そして次にマリコが手を止めたのは、2冊目のノートだった。