樹ダイアリー
しかしその日のことは、土門の記憶からは徐々に薄れていった。
マリコは変わりなく鑑定に集中し、土門自身も事件に追われていたからだ。
そして、短いながらも二人の逢瀬で、マリコが『祖父江』という名を口にすることもなかった。
ところが。
「有休?」
「ええ。明日申請したの」
「何か用事か?」
「……………」
マリコはしばらく迷っていたが、土門に隠すことではないと判断した。
「祖父江さんのお宅にお邪魔することになっているの」
「祖父江?あの、お前の恩師の弟か?」
「ええ」
「何のために?」
「日記を…見せてくださるそうなの」
「日記?」
「祖父江教授の日記よ」
「何故お前に?」
「それは………」
さすがにマリコは言いよどむ。
「それは?」
「私の…名前が書いてあるから、私に読んでほしいって」
「榊、ちゃんと説明しろ。そもそも祖父江教授は今、どこにいるんだ?」
「……………」
マリコは答えない。
「榊?」
「……亡くなったわ。私が大学4年の時に」
「なに?……………そうか」
土門は『すまん』と小さく口にする。
「しかし、なぜ今頃になって?」
「祖父江さんはずっと海外にいらして、今回帰国した際に、祖父江教授の遺品整理を始められたそうなの。そこで見つかったらしいわ」
「お前の名前が書いてある、というのは?」
「それは…。読んでみないと、私にも分からないわ」
「榊。嫌なことを聞くぞ。お前と祖父江教授は、もしかして“そういう”仲だったのか?」
マリコはキッと目を釣り上げた。
「そういう、ってどういう意味!?私と教授は…恩師と教え子よ」
「お前はな。しかし、教授の方がどう思っていたかは分からない」
せせこましい嫉妬だと分かっている。
それでも、穿ってしまう。
学生の頃のマリコは、きっとキラキラとした若さと美貌に溢れていただろう。
そんな少女から大人の女性へと羽化したばかりのマリコを前にして、師という立場を守ることなどできるのか?
土門だったら、自信はない。
「失礼だわ、土門さん!」
マリコは本気で怒っている。
「だったら、俺も一緒に連れて行け。そして俺の目の前で実証しろ」
「本気なの?」
「本気だ。俺は……お前の過去だって知りたい」
「土門さん…………」
マリコはようやく気づいた。
土門の心の内に。
マリコはそっと手を伸ばすと、土門の袖口をきゅっと掴んだ。
「心配…?」
「当たり前だ」
バレてしまえば、隠す必要もない。
「分かったわ。一緒に来て。私の心が揺れないように」
土門は返事の代わりに、マリコの細腰を強く抱き寄せた。