樹ダイアリー
ようやく少し落ち着いたマリコは、男性と名刺を交換し、後ほど連絡を取り合う約束をした。
そして、「こんなひどい顔で科捜研には戻れない…」そういうマリコに土門は付き合い、二人は屋上へ場所を移した。
「ほら、飲んで落ち着け」
マリコは渡された缶コーヒーを素直に受け取る。
二口、三口喉に流し込むと、ほっと息を吐いた。
「で、誰なんだ?」
「名刺には『祖父江
「どういう関係なんだ?」
イラつく土門は、思わず取り調べ口調になる。
「なぜ怒っているの?」
マリコは本当に理由がわからないのだろう。
不思議そうに、不安そうに土門を見ている。
「すまん…。怒っているわけじゃない。ただお前が泣いているのを見て…その、動揺したのかもしれん」
「それは…」
「『どうして?』とは聞くなよ」
マリコの瞳が開かれる。
「『何で分かったのか』も、秘密だ。それより、俺の質問に答えろ。教授がどうとか言っていたな?」
「ええ。あの人は私の恩師、祖父江
「恩師?」
「ええ……」
マリコは遠い目をして、昔を懐かしむ。
祖父江樹。
マリコの大学在学中の担当教授であり、マリコにとっては人生の恩師ともいえる人だった。
「とても。とても、厳しい人だったわ。それに、真実の探求に誰よりも情熱を傾けていたわね」
「お前よりも、か?」
土門は揶揄するように、聞き返す。
「私なんて足元にも及ばないわ。祖父江教授は、文字通り“人生の全て”を賭けて科学と向き合っていた」
「人生の全て?」
「ええ」
マリコは土門を見ると、曖昧に微笑む。
「今でも…どこかで実験を続けているのかもしれないわね。樹さんは」
「榊?」
「戻りましょう。ごめんなさい、つき合わせて」
「………いや」
土門にはマリコの最後のセリフが気になった。
マリコは『樹さん』と呼んでいた。
『祖父江教授』ではなく。
それが何を意味するのか…。
そして、祖父江教授は今は?
分からないことだらけだ。
だが、今のマリコにそれらをたずねることは…何となく憚られた。