樹ダイアリー



祖父江家からの帰り道、マリコは土門の車に揺られ、ぼんやりと過ぎゆく車窓を眺めていた。

まるで今の自分は抜け殻のようだ。

静かな車内で微かなエンジン音をBGMに、マリコは知らぬ間に眠りに落ちた。

ふと、目を覚ますと。
そこは土門の自宅でもマリコのマンションでもない。
そして、外はすでに夜の帳が落ちていた。

運転席に土門の姿はなく、不安に駆られたマリコは車の外に出た。

「よお、起きたか?」

「土門さん!」

「よく寝ていた……どうした?」

尋常ではない様子のマリコに、土門は眉を潜める。

「どこにも居ないから…」

「置いていかれたと思って心配したのか?」

「……………」

マリコは答えない。

「俺がお前を置いていくはずないだろう?」

「分からないわ!現に樹さんは……」

「あっ」とマリコは続きを飲み込んだ。

「ごめんなさい」

「構わない。今は、俺と祖父江教授を比べてしまうことだってあるだろう」

土門はマリコを手招きした。

「なに?」

「あれ、見えるか?」

土門が指差すのは、ひときわ明るく輝く星。

「運転中、ふと目に入ってな。休憩がてら車を停めて見ていたところだ」

「ポーラスター。北極星ね」

「昔からずっと、人々の道しるべとなった星だろう?」

「ええ」

「なあ、榊。俺は星になれたらいいと思う。あの北極星のように、迷ったときには目印に、悩んだときには先立ち導いていく」

「土門さん?」

「これから先、生きていくお前の隣で、お前だけの北極星になりたい。多分祖父江教授のようにはできないし、彼の代わりにはなれない。それでも…」

マリコはドン!と土門に体当りするように抱きついた。

「榊?」

「私は樹さんの代わりなんて求めてない!」

本気で怒っているのだろう。
強い意志が籠もった瞳。

『綺麗だな』、と土門は見惚れた。

「私が求めているのは。私が……隣に居てほしいの、…は、土門さん、だ、け…よ!」

不明瞭な声は、涙に濡れて。

土門はマリコの背に腕を回し、その体を閉じ込めた。

本当は分かっていた。
それでも聞きたかった。
言わせてみたかった。
これくらいの嫉妬なら、祖父江教授も許してくれるだろうか。

「俺はお前を遺して逝ったりしない。お前を決して離さない。だからお前も俺から離れるな」

マリコはただ頷く。
何度も、何度も。
嗚咽で声にならない答えを、それでもちゃんと伝えたくて。

「言っておくが、生涯だぞ?」

マリコは腕を伸ばし、土門の首に巻きつけた。
その返事は…重なり合う唇の熱。

何十年先のいつか。
その時も、またこうして二人で星空を見上げよう。
満開の桜を眺めた後で。

「榊。幸せになろう。祖父江教授の分まで」




この日のことをマリコは日記に記している。
土門との日々を綴った心の日記は、もう何冊目だろう。

今でも、ふと読み直すことがある。
そこにはこう続きが書かれているのだ。

*****

樹さん、私は幸せになります。
あなたの分も。
土門さん愛する人と。

*****



fin.


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