Marry me ?
門扉を通り抜け、一歩足を踏み入れたところで、土門は大きく息を吸った。
変わらない…。
あの頃のままだ。
ここは土門にとって、大切な場所だ。
今までの自分の生き様と、これからの人生の歩み方について様々な影響を受けた。
若者を指導する立場にありながら、その実、自分のほうが成長させてもらったかもしれない。
短い期間ではあったが、濃密な時間を過ごした警察学校。
今日土門がここを訪れたのは、依頼を受けたからだ。
いよいよここを巣立ち、警察官として職務に当たる新人たちへ、改めて心構えとエールを送ってほしいと。
土門は二つ返事で引き受けた。
構内へ向かう途中、道場の前を通った。
ちょうど柔道の訓練の真っ最中のようだ。
何人かが土門に気づき、不思議そうな顔をしながらも会釈をした。
それに応えた土門は、背後から声をかけられた。
「土門教官!」
懐かしい名前だ。
一瞬、時が遡る。
思わず土門は振り返った。
「君は!」
そこに立っていたのは、かつて土門の教え子だった女性。
「お久しぶりです!」
大人びて落ち着いて見えるが、面影は残っている。
「君、なぜここに?」
「後でご説明しますね。まずは校長がご挨拶したいそうなので、こちらへ」
「分かった」
女性に案内されて、土門は校舎へ入る。
校長室での面談はほんの数分、形式的なものだった。
まあ、おエライさんとの挨拶など得てしてそんなものだろう。
さっさと校長室を出た土門は、先ほどの女性の案内で構内を進んでいく。
「君…
「私の名前、覚えていてくださったんですね」
「ああ…」
土門は記憶を掘り起こす。
小山内は土門の生徒の中でも、少々変わっていた。
酷いアレルギー体質の彼女は警察学校の中では特例で、弁当の持ち込みを許可されていた。
しかし他の皆と一緒に食堂で食べれば、良くも悪くも注目を浴びてしまう。
それを気に病んだ彼女は、ひとり屋上で昼食をとっていた。
ある時その事実を知った土門は、彼女の好意で弁当を分けてもらったことがある。
もっともそれが原因で、マリコと一悶着あったことは今となっては懐かしい思い出だ。
「実は土門教官が異動された後、一度は総務課へ配属になりました。でも勤務を続けるにあたって、やはり体調がネックになってしまって…。辞表を出したところ、こちらの職員に欠員が出たということで、拾っていただきました」
「そうか……。君はそれでいいのか?」
「私、今の仕事が好きです。直接自分の力で犯罪を解決することはできませんが、一人でも多くの警察官を育てることで、微力ながらそのお手伝いができていると思います」
「そうだな。方法は違っても、君も俺も“被害者のため”と思う気持ちは変わらない」
「はい」
小山内は嬉しそうに微笑んだ。
二人の足は、教室の扉の前で止まった。
「土門教官。この教室にいる生徒たちは、来週には配属先が決まり、そこで初めて本当の犯罪と向き合うことになります。今頃は不安な気持ちで一杯でしょう…」
話しながら、小山内は数年前の自分を思い出していた。
確かにあの頃、こんな自分が役に立てるのだろうか?と不安なことの方が大きかった。
けれど、そんな中でも心の奥底では決して消えることのない種火があったことも事実だ。
犯罪を憎む気持ち。
被害者や、その家族を助けたいという思い。
「小山内。彼らも君や…これまで無数に飛び立っていった生徒たちと同じだ。その不安の奥には必ず正義がある。警察官にとって一番大切なものだ。心配するな!」
そう声をかけると、土門はカラリと教室の扉を開けた。
そして、居並ぶ生徒たちの面持ちを確認すると、ニヤリと笑った。
「見てみろ!いい面構えじゃないか!!」
土門は教壇に立つと、これまでの刑事人生から学んだいくつかのことを、彼らにアドバイスした。
その中で、一つ。
興味深いものを紹介しよう。
「最後に、信頼できる仲間を作ることだ。ここにいる仲間もそうだが、現場に出れば命の危険もある。そのとき、ガラ空きとなった自分の背中を預けられるような、そんな仲間を見つけろ」
「それは、警察官の相棒ということですか?」
生徒の一人が声を上げた。
「それもある。だが、事件捜査は刑事だけが行うものではない。鑑識、科捜研、様々な人間の手が必要だ。職種に関係なく、本当に信頼できる仲間がいる人間は強い」
「教官にはいらっしゃいますか?」
今度は別方向から質問が飛んだ。
「ああ。そうだな…もう十数年来の腐れ縁になる相棒がいる」
土門はその相棒を思い浮かべ、自然と笑顔になった。
「そんなに長く?それでは、もう家族のようですね」
目の前の席の生徒が、何気なく発した言葉。
あながち外れてもいないな、と土門はただ小さく頷いた。
そして、声を張る。
「俺が伝えたいことは以上だ。これからお前たちが向かうのは戦場だ。絶対に勝ち抜け。そして、絶対に帰ってこい!」
「はいっ!!!」
希望に満ちた顔を見回し、一瞬土門は錯覚に見舞われた。
そこには居ないはずの男の顔を見た気がしたのだ。
「権藤………」
彼もまた、土門にとっては背中を預けることのできる一人だった。
喪った悲しみは残っているが、最近ではこうして時々思い出すこともある。
最期まで刑事を全うした男の生き様を、土門は決して忘れない。
同時に、この若者たちの中から権藤のような末路を歩むものが出ないことを、切に願うのだった。
依頼を終えると、ちょうど昼時のチャイムが鳴った。
「土門教官。お昼は食堂ですか?」
「いや。弁当を買ってきた」
「だったら久しぶりに屋上で…一緒にいかがですか?」
「いい提案だ」
笑いあった二人は、その足を屋上へと向けた。
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