not bad
――――― バタン!
扉の開閉する大きな音に、二人はハッとした。
マリコは慌てて坤から離れると、逃げるように背中を向けた。
「待ってください!」
坤はマリコの後手を掴む。
「突然すみませんでした。でも俺は榊さんの事が……」
その先の告白をマリコは聞いた。
でも、振り返ることはしなかった。
「今の言葉は聞かなかったことにします」
「何故ですか?他に付き合っている人がいるんですか?土門刑事ですか??」
矢継ぎ早の質問の最後。
その名前にマリコの肩がピクリと動いた。
「土門さんと付き合っている訳ではないわ」
「だったら!」
「でも、好きな人がいるの。ごめんなさい」
マリコは坤の腕を振り払うと、小走りで屋上を出ていった。
「……………」
好きな人。
それが誰なのか。
さすがの坤も、聞かずとも分かる。
それでも追いかけようと一歩踏み出して、坤の足は止まった。
マリコを手に入れたい、諦めたくない、その気持ちは坤の中で大きくなるばかりだ。
だが同時に、それがマリコを追い詰め、迷惑になることも分かっていた。
正直、十年を越える重みと、男としての大きさの違いに引け目を感じ、躍起になっていたのではないか?と言われれば否定はできない。
坤は羨ましかったのだ。
二人の関係が。
できることなら、土門とその場所を変わりたかった。
だけど……それでマリコが幸せになれるのだろうか?
自問の答えは、すでに出ている。
『もう数分だけ、大目に見てもらおう……』
坤は俯いたまま、一人屋上に立ち尽くした。
逃げるように屋上の扉を閉めた後、土門はその足で久しぶりに道場へ顔を出した。
ちょうど他に稽古している者はおらず、板張りの空間はがらんとしていた。
あまり時間がないため、スーツのまま竹刀を握ると中段に構え、目を閉じる。
すると、ピンと張り詰めた緊張感に全身が包まれた。
「……………」
一度深呼吸をすると、土門は無言で竹刀を振り下ろした。
幾度も、幾度も。
切り裂かれた空気が悲鳴をあげる。
邪念を払い、ただ目の前の見えざる敵に意識を集中する。
土門にとっての敵。
それは己が嫉妬だ。
あの時。
抱きしめられたマリコの姿に、土門は怒りで目の前が真っ赤に染まった。
ギリギリと血が滲むほど唇を噛み締め、耐えた。
そうしなければ、すぐにでも坤に殴り掛かりそうだったのだ。
だがその感情は、刑事である土門には不要なものだ。
おそらくマリコにとっても迷惑以外の何ものでもないだろう。
だからここで切り捨てる。
額に滲み出した汗はいつしか顎を伝わり。
振り下ろした竹刀の切っ先と同じ弧を描いて、その汗は床で弾けた。
翌日、連続通り魔は京都で身柄を拘束された。
ここから数日かけて厳しい聴取が行われた後、他県へ移送されることが決まっている。
坤はあと2日で交流の期間を終え、大学へと戻る。
屋上での告白以降、しばらく気まずい思いもしたが、後悔はしていない。
それほどにマリコは素敵な女性だったし、彼女に思われる土門が羨ましくもあった。
実は、いとこの健児とは土門についても話したことがある。
『刑事の見本みたいな人だよ。以前に一度、弾痕の鑑定の時に俺のことを“プロだ”って言ってくれたんだ。土門さんに認められて嬉しかったなぁ。ほんの少しだけさ、二人と対等になれた気がしたんだ』
『二人?』
『マリコさんと土門さん。あの二人はお互いを深く信じて認め合ってる』
『へー、案外恋人同士だったりしてな』
『どうかな?でもそうだったとしても全く驚かないし、むしろあの二人を理解できるのはお互いだけかもしれない』
軽く聞き流したその話題に、自分が痛手を被ることになろうとは…。
坤は次に健児に会ったら、今度の事を話してみようかと思っている。
きっと健児は。
『マジか…!お前、無謀だよ』
そう言って、大笑いするに違いない。