not bad
翌朝。
痛む頭のまま、マリコは出勤した。
気づいた坤が、すぐさま駆け寄る。
「マリコさん!昨夜は、すみませんでした。俺が…」
なおも続きそうな大声を、マリコは片手を挙げて遮った。
「坤さん、ごめんなさい……」
「もしかして、二日酔いですか?大丈夫ですか?」
坤はこめかみを押さえるマリコを、心配そうに見つめる。
「おはようございます、マリコさん。辛そうですね。こちらをどうぞ」
遅れてやってきた宇佐見は、プレートに乗った小さな茶器をマリコに手渡した。
「何ですか?」
「二日酔いに効く、薬膳茶です」
「ありがとうございます。いただきます………んんん~」
何とも形容し難い味に、マリコは悶絶する。
宇佐見と坤は申し訳ないと思いつつ、そんなマリコの様子に苦笑した。
「よく効きますからね。我慢して全部飲んでください」
「……………」
宇佐見の言いつけ通り、マリコは涙目になりながらも、なんとか茶器を空にした。
そこから数時間、昼になる前にはマリコの頭痛は完全に消えていた。
宇佐見の薬膳茶の効果は絶大のようだ。
しかし頭がクリアになったことで、今度は昨夜の出来事がマリコを悩ませ始めた。
昨夜。
酔ったマリコを抱え店を出た土門は、そのままマンションまでマリコを送ってくれた。
しかし到着した際に、車内で一悶着あったのだ。
「お前にはプロ意識ってものがないのか?明日も仕事だっていうのに、そんなに酔って…。朝いちの鑑定は、お前には頼まん」
「そんなに酔ってないわよ」
「まともに歩けなかったくせにか?」
「今は普通に歩けるわ」
「どうだか…。大体、坤のやつも上司を潰すなんて何考えてやがるんだ」
「そんな言い方しないで。坤さんは、場の雰囲気を盛り上げようとしてくれていただけよ」
「あいつの肩を持つのか?」
「そういう意味じゃないわ…。ねえ、どうしてそんなにつっかかるの?」
「お前がしっかりしないからだろう?だから、俺が呼ばれる羽目になるんだ」
「それは…、悪かったと思ってるわ」
「とにかく、今後こういうことはないように注意しろ。迷惑だ」
流石にマリコはカチンときた。
「だったら、放っておいてくれればいいじゃない!」
そうできれば苦労はしない。
喉まで出かかった言葉を、土門はため息とともに飲み込む。
その態度をどう受け取ったのか…マリコは急にガチャッと助手席のドアを開くと、そのまま車を降りた。
一瞬、ふらりとマリコの体が揺れる。
「おい、榊!?」
しかしマリコは振り返ることなく、ふらつく足取りでマンションのエントランスをくぐっていった。
土門は暫く車を停車したまま、マンションを見上げる。
数分後。
目当ての部屋に灯りが着いたのを確認し、その場を立ち去った。
マリコはこの時の土門とのやり取りに、頭を悩ませていた。
わざわざ迎えに来てくれた土門へお礼を伝えることもせず、それどころかケンカ別れをしてしまったのだ。
「まだ、怒ってる……わよね」
マリコは壁の時計を眺めつつ、大きく重い息を吐いた。
そして、今日は屋上へ行くとこを断念したのだ。
しかし昨夜の話には続きがある。
といっても、あくまで土門個人の話だ。
マリコのマンションから離れた後、ハンドルを握りながら、土門はあれこれと考えを巡らせていた。
本当はあんな風に、突き放すような言葉を浴びせるつもりはなかった。
マリコの無防備さと。
坤という存在。
この2つが引き起こすかもしれない化学反応が、土門には怖かった。
坤と挨拶を交わした時から、土門には嫌な予感がしていた。
刑事という仕事で培ったそれは、残念ながら、滅多なことでは外れない。
だから宇佐見からSOSが届いたとき、土門はすぐに駆けつけたのだ。
ヤツに奪われてはならない、という本能に従って。
土門は近頃、ふと思うことがある。
この先、いつかはマリコと別々の人生を歩んでいくことになるだろう。
自分がいずれこの職務を解かれても、マリコにはまだ猶予がある。
その時が岐路だろうか。
いや、と土門は一人ごちる。
今はまだ考えたくもない未来だ。
出来る事ならその岐路に到達するまでは、マリコと同じ方向を向いていたい。
土門はウィンカーを点滅させ、ハンドルを左に切る。
左折すると同時に、視界に助手席が映り込んだ。
今は空っぽとなってしまったそのシート。
土門の胸がチクリと痛んだ。