not bad




それから科捜研へ戻った二人は、再び鑑定に取り掛かる。
しかし、この日は皆で早めに業務を切り上げた。
これから坤の歓迎会があるのだ。

大衆居酒屋へと繰り出し、先駆け一杯のビールが届いたところで、全員の視線が一点に集まる。

日野がコホンと咳払いした。

「えー、本日はお日柄もよく………」

「所長!結婚式じゃないですよ!」

「う、うん。そうだね。ええと、ようやく始まった連携体制の強化で、僕たち科捜研の………」

「もー、早く食べようよぉ!」

掘りごたつの足をバタバタさせる駄々っ子に、日野は白旗を挙げた。

「分かったよ。とにかく、坤くん。ようこそ科捜研へ。はい、カンパーイ!」

「「「カンパーイ!!!」」」




「坤さん!」

「なに?涌田さん」

「坤さん、彼女さんとかいるんですか?」

亜美は早速リサーチ開始だ。

「あー、直球だね」

坤は苦笑してみせる。

「今はね、フリーだよ」

「今は?」

「うん。仕事を優先させすぎてね、振られたんだ」


「懐かしいセリフだね?」

そう会話に割り込んだ日野の言葉は、マリコへ向けたものだ。

「そういえば…」

マリコも記憶を辿る。
よく乾も「今夜もデートできない」、「振られた」などとボヤいていたものだ。

「乾くんも言ってましたね。あの頃そんなに忙しかったかしら……」

日野はあんぐりと口を開くと、そのまま塞ぐことができなかった。

誰が忙しくしていたのか。
張本人はケロリとした顔で、自分のせいだとはつゆ程も思っていないらしい。

「健児からは、上司の人遣いが荒かったと聞いてます」

ちらり、と坤はマリコに視線を向ける。
どうやら、その上司が誰か…いとこから聞いているようだ。

「確かにね、乾くんは手足のように使われていたよ」

日野は深く、深く頷く。

「でも、健児はその上司を尊敬していましたよ。科学者としての知識も能力も、おまけに度胸も、科捜研イチだと言ってました」

「まあねぇ」

日野は諦めたように、フレームをずり上げた。



「さあ、榊さん。おひとつどうぞ」

坤は隣のマリコへ酒を勧める。

「いえ、私はもう……」

「そんなこと言わずに。一杯ぐらい俺の酌を受けてくださいよ」

主賓にそう言われては、無下にもできない。

「そ、それじゃあ、少しだけね」

「ありがとうございます。榊さん、これからも色々教えて下さい。お世話になります」

坤との会話に集中していると、マリコのグラスにはビールがなみなみと注がれていた。
仕方なくマリコはその一杯を飲み干した。

しかしその後も、坤は血液に関する議論へマリコを誘いつつ、マリコのグラスを満たしていく。
乾く喉を潤すために、気づけばマリコはかなりの酒量を摂取していた。

新たにビールを追加しようとした坤に、声をかけたのは宇佐見だ。

「坤さん。もうその辺で。マリコさん、あまり飲みすぎると、明日の仕事に障りますよ」

「あ、はい。すみません」

普段白い肌は酔いに、耳まで赤みを帯びていた。

「私、お手洗いに……」

立ち上がったマリコの身体がふらりと揺れた。

「大丈夫ですか!?」

支えたのは坤だ。

「ご、ごめんなさい」

「いえ…」

「亜美ちゃん、マリコさんと一緒に行ってくれるかい?」

宇佐見は亜美を呼ぶと、坤の手からマリコを引き離し、亜美へと委ねた。

「はい。マリコさん、大丈夫ですか?掴まってくださいね」

「ありがとう、亜美ちゃん」

亜美に支えられ、二人は店の奥へ消えていった。


一方、坤はその場に立ち尽くし、じっと手を見つめていた。
自分もこれまで、それなりに女性経験を重ねてきた。
初心なガキとは違う…はずだ。
でも。

坤は、その手を動かすことを惜しんでいる。
なぜなら、微かに残ったマリコの温もりや柔らかさを逃したくはなかったからだ。

『自分はもしかして…?』

坤は、マリコのグラスに視線を向ける。
透明なグラスの縁には、うっすらとローズピンクの口唇紋が残っていた。




宇佐見はマリコと亜美が立ち去ったのを確認すると、ある人物へラインを送った。
彼の脳裏では赤信号が点滅していた。
このまま一人でマリコを帰すことは危険だ。
リスク管理の観点から、宇佐見は手堅い手法を選択した。
つまりは、土門を呼びつけたのだ。



土門が居酒屋の扉を開けると、「いらっしゃい!」と勢いのいい声がかかる。
手を上げて、客ではないことを店員に示すと、土門は宇佐見を探した。

「土門さん!」

すると丁度、宇佐見が座敷の奥から土門を迎えに出てきた。

「宇佐見さん。連絡ありがとうございます」

「いいえ。お仕事の方は大丈夫でしたか?」

「どんな仕事も優先順位が大切ですから」

意味深な返しに、宇佐見は「確かに」と頷く。
そして、「こちらです」と土門を宴席に案内した。




土門は壁際に座り込んだマリコを一瞥するやいなや、盛大に眉を潜めた。

薔薇色に染まった頬に、とろんと濡れたような瞳。
酔ったマリコは壮絶な色気を放っていた。

他の客席からも、ちらちらとこちらの様子をうかがっているのは男性ばかりだ。

「榊」

「あ、土門さん」

「分かっていると思うが、言うぞ。飲みすぎだ」

「……………」

マリコはしゅんとうなだれる。
そうすることで、今度はさらりと髪が動き、うなじが顕になる。

「あの、榊さんのせいじゃないです。俺が勧めたから」

説明しながら近づいてくる坤の前に、土門は立ち塞がる。
坤の視界からマリコを守るためだ。

「たとえそうだとしても、飲むかどうかを決めるのは榊自身だ。いい大人なんだから、そのくらいの分別はついてもらわないと困る」

「そんな、そこまで言わなくても!」

「お前には関係ない。所長、宇佐見さん、こいつは送っていきます。支払いは?」

「それは、先にマリコさんからいただいているので大丈夫です」

「そうですか。それでは、失礼します。榊、帰るぞ」

土門はふらつくマリコを抱えるようにして、店をあとにした。



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